投影

今日のブログは長いです。
そして、とっても私的なお話です

人はモノなどを見るとき、自分の心の状態や思考の癖を映し出します。それを心理学では投影といいます。色彩心理を学んだ際にユトリロの絵を研究課題に選び、使われた色を一枚一枚の絵から抽出して研究していました。

心理の研究とはいえ、ユトリロの心理がわかるわけではありません。で、何を研究するかというと当初はユトリロの色の変遷とその背景だったのですが、ふとなぜユトリロの絵を研究課題に選んでしまったのか自分自身の潜在的なものを知りたくなり、ひとつづつ自分の色歴史と合わせて分析してみました。けれど、やってもやっても見えてこないのです。講師に相談すると、何かを投影してみているものだけれど、それは「見えているもの」を見ようとしてもなかなか見えないものだといわれました。

課題はなんとか提出できたものの、なぜユトリロを選んだのかわからずじまい。

それから10年以上の月日が流れ、ある時、ユトリロの生い立ちと生き方がどことなく父に似ていることに気づきます。やっとです(^_^;) 父は、私生児として生まれ、認知してもらえず、戸籍上では実の母と兄弟とされ、中学を卒業したらすぐに丁稚。父の年齢で丁稚に行く人はもうずいぶんと少なくなっていたのですが、私生児や戸籍上のことなど、父のような人はいっぱいいたそうですから、珍しいものではありませんね。

父の実の母(私にとっては祖母)は、島暮らしをしている身体の弱い祖母の両親と父や祖母の実の兄弟たちを養うために島を出て働きにいき、父を身ごもったのですね。そのまま父を出産した祖母は曾祖母に父を預けまた働きに出ます。ですので、父は実母とは離れたまま愛情を受けたことはありませんでした。まだまだ甘えたい盛りの中学生の時には幼い兄弟たちの面倒をみ、卒業と同時に島を出て丁稚。ずっと甘えることはなかったのだと思います。

そんな父の生い立ちを高校卒業して家を出た後に叔母に聞いたのです。父が苦労をしていただろうということは知ってはいたけど、丁稚をしていたとか、そんな幼い時から苦労していたことなど知らず、苦労知らずの私には衝撃的なことでした。

自分が苦労したとかの昔話や愚痴・悪口など一度も口にしたことのない父。何一つ父の辛さや悲しさを知らなかったことに衝撃だったのです。

ユトリロの絵に惹かれたのは、絵を通して父の気持ちを見ようとしていたのではないかと。今となっては父の気持ちもわかりません(生きていても教えてくれなかっただろうけれど)。大好きな絵を見る時と違って、ユトリロの絵を見るときは、いつも心がざわつくのです。それはきっと私の中の父の影がまだ昇華してないからなのだと思うのです。

ユトリロの絵の話をすると、あの酔っ払いの絵だろーという人がいます(笑)確かに酔っ払いだったけど、酔っ払いになった過程を見ると、今まで見ていたユトリロの絵が違って見えるかもしれませんね


人が描かれるのはとても少なく、描かれる人物は後ろ姿の大きなお尻の女性が多いのです。お母さんを求めてたのかなと、いつも投影してみてしまいます

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