カテゴリー別アーカイブ: 由来

鏡開き

今日は鏡開きの日ですね。昔ながらの鏡餅を結構な力を入れながら開いている方もいらっしゃいました。小袋に入った子餅を入れた鏡餅型のプラスチックでできた簡易な鏡餅セットだと鏡開きの行事も味気ないものかもしれません。

お正月行事は、新しい年の神様(年神様)を家へお迎えし祀るための行事。鏡餅は神様へささげるものであり神様の依り代となるところです。年神様を、お迎えしおもてなししお送りした後、家長が家人や子供たちに鏡開きをし分けます。その歳(年)の神様の魂(玉)=お年玉で、お雑煮にして神様の魂をいただいていたのです。お年玉は元々はお餅だったのです。

鏡餅の円形は家庭円満を、重ねた餅は大小2段で月と太陽(陰と陽)を表し、1年を重ねるという意味合いがあるとされています。また鏡開きの「開く」は末広がりを意味します。この鏡餅を開くとき刃物は使いません。もともと武家で具足餅を下げて汁(雑煮)にしたのが一般化したとされており、刃物を使うのは武家にとって切腹を連想させるので手や木鎚を使って分けるのです。

 

上から、
橙(勾玉)
串柿(剣)
鏡餅(鏡)

 

天孫降臨の際に天照大神から授かった三種の神器(勾玉、鏡、剣)を表してます。「鏡」は心の中を映し出す鏡。「勾玉」には心の落ち着く場所を指し示す霊力があり 、「剣」は邪念や魔物から護ってくれる守り刀であり、人生を切り開く武器でもあります。

尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
八咫(やたのかがみ)
天叢雲(あめのむらくものつるぎ)

 

 

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Merry Christmas! クリスマス祭事の元?

Merry Christmas!
皆様、どうぞ素敵な時を

今年は例年に比べ、クリスマスモードが薄い?そうですね
全くクリスマスモードではない私は、そのことさえ勘付いておりませんでした(^_^;)
キリスト教徒ではなくても、家族が笑顔で集っているのを見ると良いイベントだと思ってました。その昔はケーキがバターケーキしかなくって、脂っこい鳥肉もだめだった子供時代、クリスマス料理の楽しみはあまりありませんでしたが(笑)

さて、そのクリスマス、キリスト教が公認される以前のローマ帝国ではミトラ教(太陽神ミトラスを主神とするの)が信仰されており、このミトラ教の祭事をキリスト教が取り込んだとする説があるようです。今ではすっかりキリストの降誕祭として定着しているクリスマスも、日本ではまた独自の路線(商戦色が強いかな・・・)をとって定着しています。

今年のクリスマスモードは弱くとも、みんなが笑顔でHappyな時間が過ごせるのなら、私は大いにお祝いしたいと思います

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ダズンローズデー -12月12日-贈ると幸せになれる

今日12月12日は「ダズンローズデー」です。ブライダルファッションの第一人者である桂由美さんと内田和子さんで提唱された記念日で、12本のバラを愛のあかしとして恋人にプレゼントします。欧米では12本のバラの花束を恋人に贈ると幸せになれるという習慣があるとのこと。ダズンは1ダースという意味ですね

12本のバラはそれぞれ、感謝・誠実・幸福・信頼・希望・愛情・情熱・真実・尊敬・栄光・努力・永遠を表現しています。感謝が一番にくるって素敵ですね。

ちなみに、バラ1本だけだと「あなたに一目惚れしました」「あなたしかいない」の意味。2本なら「二人の愛」99本は「永遠の愛」。100万本のバラという歌があったけど、100万本だとどういう意味になるのでしょうか?

3本は「愛してる」のサイン。あれ、これも歌の歌詞ですよね


ウェルカムボードぶ~け ばら ガラス彫刻工芸作家 ゆかい

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ごめんねの日 -12月10日

今日、12月10日は何の日かご存知でしょうか
ごめんねの日なんだそうです

ごめんねの日を制定したのはすかいらーくグループです。2009年にすかいらーくグループのレストラン「ガスト」で販売された期間限定メニューの“ハミ出るビーフステーキ” のキャッチフレーズが「ハミ出してごめんね」だったのです。鉄板から出るほどの大きなステーキ、肉好きの方にとっては、ハミ出てありがとうですよね(^^)

そんな逆説的がキャッチ―な言葉とともにPRの意味を込めて、ハミ出るビーフステーキの発売日である12月10日を「 ごめんねの日」として制定。

よくあるマーケティング的ではありますが、ごめんねの日のもう一つのコンセプトが込められてます。
勤労感謝の日や父母の日など感謝を表す記念日はたくさんあるのに、謝罪の気持ちを伝える記念日はあまりありません。そこで、ごめんねの日の制定員会では『エイプリルフールのように明るく謝ることのできる日』『謝りたいことのある人が勇気を振り絞る日』をコンセプトに、ごめんねの日の普及活動を開始されたのです。

「ありがとう」も「ごめんね」もきっかけがないと言い出しづらいこともありますね。
どちらも相手を大切に思っているから言いたい言葉。このきっかけはありがたいことだと思います。

さて、あやまること、、、
ごめんねって、ちょっと軽すぎるかも。。。

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姉の日 -サンタクロース伝説よりー

母の日や父の日があるのだから、兄弟姉妹の日もあってもいい

実はあるのです。それが今日12月6日、姉の日です。
これは漫画家で姉妹型研究家の畑田国男さんが1992年に提唱されたもので、その他にも弟の日(3月6日)、兄の日(6月6日)、妹の日(9月6日)があります。残念ながら、母の日や父の日のように感謝を表す日として制定されたものではないようです。

姉の日が決まった経緯は興味深いです。

今からずっと昔、4世紀ごろのこと。東ローマ帝国の司教セント・ニコラスは両親の死後に膨大な遺産を相続し、貧しい人たちに分け与えるため様々な慈善活動を始めました。

ある時、貧しい家の三姉妹の姉が妹たちのために身売りしようとしている話を耳にしました。ニコラスは、何とか三姉妹の力になりたいと思い、彼女たちの家の中に金貨を投げ入れたのです。家の中には、暖炉のそばに濡れた靴下が干してあり、投げ入れた金貨が干してあった姉の靴下の中に入ったのです。この金貨のおかげで姉は身売りせずにすみました。

そう、実はこのニコラスこそサンタクロースなのです。セントは聖の意味でサンタ、クロースというのはニコラスをオランダ訛の呼び方。こうした伝説から、ニコラスの命日の12月6日前夜に枕元に靴下を置いておくと、ニコラスがプレゼントを入れてくれると信じる習慣ができました。

この話に感動された畑田国男さんがサンタクロースを姉の守り神とし、ニコラスの命日を姉の日と制定したのですね。そして、3か月ごとの月命日に弟、兄、妹の日を制定。

感謝を表す日ではないものの、家族を助けるために身売りをしようとした姉。
無償の愛と助け合える家族がいることに感謝したいものです。

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12月の異名 -師走、梅初月、春待月、乙子月、三冬月ー

12月の異名をあげてみました。季節感のある言葉は素敵ですね♪

    • 師走(しわす)-12月は仏事で僧侶が走り回る程忙しいことから、師走と呼ばれています。
    • 梅初月(うめはつづき)-このころより梅が咲き始めることから。
    • 春待月(はるまちづき)-新春(1月)を待つ月。『暮れてゆく年は身にそふ老なれど春待月はいそがしきかな』 [蔵玉集より]
    • 乙子月 (おとこづき)-「乙子」は末っ子という意があり、年の最後の月
    • 弟月(おとづき、おととづき)-乙子月の略
    • 建丑月 (けんちゅうげつ)丑月(ちゅうげつ)丑の月 (うしのつき)-古代中国では、北斗七星の柄の先が真下の北の方角を指す月(冬至のある11月)を十二支の最初である子をとって「建子月」とし、順に12月を「建丑月」としました。「建」の文字は北斗七星の柄を意味し、そのあとの十二支は方角と季節を示します。は冬の終わりを表す異称でもあります。
    • 大呂 (たいりょ、たいろ)-中国音楽の十二律の一つで基音の黄鐘(こうしょう)より一律高い音C♯。「黄鐘」が11月の異名で、次の十二律である大呂が12月の異名になりました。
    • 三冬月 (みふゆづき)– 「三冬」は初冬・仲冬・晩冬の3か月(陰暦の10~12月)をいう
    • 臘月 (ろうげつ)-「臘」は、陰暦の冬至後の第三の戌の日に猟を行い神にささげる祭りのこと。これが1年の狩り納めであることから。年末のことを臘尾という。禅語「看看臘月(みよみよろうげつ)
    • 季冬 (きとう)-旧暦で冬の終わり、晩冬にあたることから。「季」は四季の終わりの意
    • 限月 (かぎりのつき)-年の最後の月、限りの果ての月から
    • 極月 (ごくげつ、ごくづき)-年の極きわまる月の意から。
    • 窮陰 (きゅういん)-冬の終わり。陰気(天候が晴れ晴れしない)が窮極(きわまる)の意
    • 暮来月暮れ古月(くれこづき)-『この花の今や咲くらん難波がたくれこの月の頃になりつつ』(莫伝抄より)
    • 晩冬 (ばんとう)-陰暦で冬の終わりである事から
    • 暮歳 (ぼさい)-十二月になること、また十二月も押しつまってからをもいう季節。
    • 苦寒 (くかん)-陰暦の師走は、寒さが最も厳しい時期。寒さに苦しむことから。
    • 年積月 (としつみつき)-また一つ年を積む月から
    • 小晦日 (こつごもり) -大晦日の前日で30日、陰暦では12月29日を指す。「晦」は月が隠れることを意味する
    • 黄冬 (おうとう)
    • 氷月 (ひょうげつ)
    • 雪月 (ゆきづき)
    • 親子月(おやこづき)

古典などからきている言葉がありますね。調べがつかないものは、またおいおい調べて掲載しようと思います。ご存知の方がいらっしゃればコメントなどでご伝授いただけると嬉しいです

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白紙説 -性悪説?性善説-

世の中にはいろいろな理論があって、どれもこれも理路整然とあるものですから、つい納得してしまいます。そんな私は、友人から「性善説と性悪説、どっち派?」と聞かれ、即座に性善説派と答えた覚えがあります。

とはいえ、性悪説もなるほどなと思うところが多く、はっきりこっちだと言い切れるものではないのです。さらにです、白紙説もあると知り、私の頭はさらに複雑化してしまってます。もともと感覚的に生きているので、理論を並べ立てるのは苦手(^_^;)

少し整理をしたくて書いてみることにしました。

性善説
儒家の孟子が説いた、人は先天的に道徳的で善であるというもの。人は善であっても賢にあらず、弱く悪に流されてしまいやすいもの。なので修業は必要で、修行や育成により開花させることができればで立派な人間になれる。

性悪説
同じく儒家の荀子が説いた、人は生まれたときは善でも悪でもなく、後天的に経験したことや環境などによって悪にも善にもなるというもの。修行することで善になるというのは性善説と同じ

性悪の「悪」はいろいろなとらえ方をされて、“ 人は本来は悪であり、修行によって善人になれる“ というのと、“ 人は本来悪であるから、人を見たら疑ってかかるべき“ というのがあるようです

白紙説
ジョンロックが説いたもので、人は生まれたときは白紙(タブラ・ラーサ、羅:tabula rasa)として生得観念(innate ideas)を有していない。観念の起原はあくまでも経験であり、我々の側にあるのはせいぜいそれらを認識し、加工する能力だけである。(wikiより)。
白紙の心に、積み重ねた経験により心が出来上がるというもの。善だの悪だのと言っているのは経験に基づく感覚(ジョンロックをはじめとする感覚論より)

性悪説と白紙説は、先天的なものではどちらも善悪の区別はなく後天的にというところで似てますね。性悪説の「悪」を善の反対と思ってしまうと、別物になってしまいますね。

どれも至極納得してしまう私はなんなのでしょうか(滝汗)
経験や環境によって形成されたり、白紙論のように後天的に観た感覚にすぎないというのは、すごく同感します。

ただ、人は生まれながらにもった愛があるように私は思ってます。前世だとか全く見えないのですが、なんとなく感覚で未経験のことにまで反応してしまうものがあり、それが生まれ持った愛なのかなと思うのです。情というか愛、親子愛や同士愛、郷土愛、ペットや植物、モノなども含めてです。もしそうであるとしたら、せっかく生まれ持ったものなのに、自分の弱さやつまらないことで失われたり、悪の道に引っ張られたりは、寂しいことです。ですので、善悪というほどではないのですが、私の考えは性善説に近いかなぁと

ま、とらえ方はいろいろあれど
人が修行して善行を行うのは全部共通してますから、日々精進します

 

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朔(new moon)

今日は陰暦の朔日(さくじつ・ついたち)

朔は英語ではnew moon で新月と同じです。月と太陽が地球から見た見かけ上の通り道が等しくなる時刻がこの朔で、朔がある日を朔日と言います。陰暦では、朔日を月の始まりである1日とし、月の満ち欠けによる「月立ち」が転じて「ついたち」と呼ぶようになり朔日を「ついたち」とも読むようになりました。

さて、新月について
新月は文字通り新しいことを始めるのに適しているものの、その分緊張感が高まる時。月には詳しくない私ですが太陽とは違って見えない部分をさとしてくれているように感じています。月の満ち欠けは感情の変化に敏感で、とても神秘的ですね


三日月です(^^)

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餞別と土産の由来

取引先やご親戚など訪問時のご挨拶に、手土産をご依頼いただきます。お客様からの「手土産」という言葉にふと思うことがありました。そもそも土産というのは土地の特産品を指す言葉。ガラスのオーダーメイドギフトなので、土地の特産品とはいえませんね(^^;)

で、何気に「みやげ」の語源が気になり調べてみました。

昔、農民たちにとって伊勢神宮参拝はわずかに許された村の外に出る機会でした。ところが、参拝には時間もお金もかかります。ですので、気軽にお伊勢さん参りができたわけではないのです。そこで参拝に出かける人がいれば、餞別を渡して自分の祈願を頼みます。参拝者は「宮笥(みやけ・みやこけ)」というお札を貼る板や箱を村人に持って帰ります。

これがお伊勢講と呼ばれる仕組みで、出資者を集めて代表が伊勢参りに行くといったものなのですね。また、このときの出資が餞別の由来ともなっています。そして、持ち帰った宮笥がお伊勢参りに行ったぞーという証。もうお分かりの通り、宮笥が土産の語源です。

こうして伊勢参りがはやり、伊勢神宮ではいつしか参拝客目当ての出店が増えていきます。これらの品々も含めて「みやけ(げ)」と呼ばれるようになりました。土地の特産品などを扱っていることから、「みやげ」に「土産」という文字があてられるようになったのだそうです

「土産」は、そのままだと読めない当て字。知らなければ読めないですもんね

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10月の和風名月

神無月(かんなづき、かみなしづき)
神在月(かみありづき)
神去月(かみさりづき)
日本全国の八百万の神々が出雲に集まる月をいいます。出雲では神様が集まって一年のことを話し合います。そのため、出雲以外の地では神様が留守になるので神無月といいますが、出雲では神在月(旧暦10月)と言います。もとは旧暦10月の呼称だった神無月は新暦での別称としても使われています。
出雲大社では旧暦10月にあたる11月に全国から集まる神様をお迎えする「神迎祭(かみむかえさい)」、神様の滞在時の「神在祭(かみありさい)」、神様をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」が行われます。

「かんなづき」の語源となるそのほかの説
神嘗月(かんなめづき):新嘗(にいなめ)の準備をする月
神な月(かみなづき):神の月
雷無月(かみなかりづき):雷のならない月
醸成月(かみなしづき):新穀で新酒を醸す月

豊穣の月、神様が次の準備のために動いてくださっていること、とてもありがたく感謝の月ですね

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