カテゴリー別アーカイブ: 5.人間関係

大欲を考えてみる

今の時代はいいですね。
今まで人の考えていることや興味のあることは、周囲の人ですらなかなか知る機会がなかったのに、今では個々がSNSなどのメディアをもって発信してくれてます。変化のスピードは速くて、でもどんどん変わる有難い環境にワクワクもします

さて、そんなありがたい環境の一つSNS。出会うこともなかったであろう方の投稿にいつも考えるきっかけや刺激をいただいていて、今回密教での「小欲と大欲」について書かれていました。
許可いただいたので、シェアさせていただきますね!

仏教には大乗仏教と小乗仏教(上座部仏教)があって、密教は大乗仏教の一つです。
大乗仏教って何ぞやと思う方も、般若心経ならご存知だと思います。世の人たちを苦しみや悲しみから救うために説かれた智慧を三蔵法師があの長~い旅から持ち帰って短い言葉に編纂してくれたものです。

ブッダはお弟子さんたちに厳しい戒律を伝えますが、それは仏教の上層部にいる人たちが悟りを開くためのもので、これを小乗仏教と言います。戒律は上層部の人たちにとっても厳しいものですから、大衆の苦しんでいる人たちにとって悟りを開くことは難しいものです。ですので、生きている人・信じている人たちを救おう(利他)として生まれたのが大乗仏教です。

解説されているものの中には、小乗仏教は、自分の為だけじゃん!(自利)と悪者扱いしているものもありましたが、戒律に代表される八正道は、本当に厳しいです。厳しい修行をして悟りを開いた人を「仏」といい、この仏の教えを奉じ、世の人々を救うため尽くす人が菩薩です。

シェアさせていただいた吉野先生は、まさしく菩薩さまなのではと思いました

 

さて、本題です。
前置きが長すぎました(^_^;;)

吉野先生の『困っている人を助けたい』という大欲とそのために小欲を手放す話を読んで、私の夢が視野が狭くなっているなぁと気付いたのです。この仕事を始めたころは、個人的なブログに「すべての人を愛したいな」とか堂々と書いてたのです。数年前に見たときにこの言葉が恥ずかしくなって(できてない自分がね)消しました。

そうすると、そう思えなくなっている、というか、願いがちっさくなってしまってるんですね。皆を愛するという大きな願いが、いつの間にか関わってくれる人の幸せに限定されてました。限定してしまうとそれ以上のことは起こらない。

出来ていることを口にするんじゃなくて、言葉にするからできてくるもの。
なので、当初の思いをまた書くことにしました。

思いあるギフトはみんなを幸せにします。(恨みとかネガティブギフトは除外です)
ギフトをするときに、相手のことを考えます。相手のことを考えないギフトはただの押し付けだからこれも除外。生きていると感じれるのは自分以外の人がいて関りをもてているからで、人が人を思うことはとても偉大で尊いですよね。

ギフトを通して生まれた喜びや生きている実感は、一つ一つは小さなものかもしれません。でもその小さな縁が次々と縁をつなぎ大きな縁となって社会をめぐっていけば、喜びにあふれた世界になると思っています。日々苦しみでとげとげした心が、ちょっとした喜びで癒され潤う。心潤った人たちが作った製品やサービスがまた他者の心の潤いとなる。
そうなることを心から願い日々研鑽です

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欠点はなぜ与えられたの?

You gods, will give us.
Some faults to make us men.

神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える。
William Shakespeare

そして、神は欠点に気付くために人を与えた、、、なんちゃって

「欠点」というと、別の側面から見れば長所になるんだという人が必ずいて、私もそう思ってる口です。しかしながら、あえて欠点として気付くことができたなら、進化しようと思うことができます。気付かなければ、当然何もする必要もないのだから成長しようとか進化しようとか思うこともない。

では、どうやって欠点に気付くのか。それは他者との比較でしかわからないのです。
自分と全く同じ感覚・思考であれば、それが普通になります。ある人の言葉に感動している人もいれば、冷めた目で見る人もいる。その違いから気付けます。

ですので、欠点も気に食わないと思っている人だって、全てがありがたい存在なのですね(^^)

509/1000

 

贈り物は直接渡せないときは?

ご相談時のお話より
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 直接お会いしてお渡ししたいのだけれど
 とても忙しい方で時期を逃しそうなので、どうしたものかと

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普段お会いできない方となら、このギフトがきっかけになることもあります。ご相談者も、せっかくなのでとお話しされていました。

ですが、贈り物はタイミングがマナーにあるものも多いですから、ご多忙の方には直送されたほうが良い場合もあります。特に忙しい現代では、直送するケースがとても多いのが現実ですので、会うことに固執しないほうがスムーズかもしれませんね。

さて、直送する場合について
宅配なら受け取れなくても1週間は保管期間があるから(宅配会社によります)、再配達してもらえるので、連絡入れなくてもお届けは可能です。しかしながら、贈る相手やシチュエーションによっては、突然贈られるのに部署回しされたり、長期出張など受け取りそのものが不可の場合もあります。ビジネスギフトでは、サプライズとはなりませんが、できればお贈りすると一報するとかお伺いを立てるとスマートです。

どうしてもサプライズで届けたい場合は、周囲の方に協力いただくことも可能ですね。
取引会社のお祝い事に、なじみの担当者さんに手はずしてもらったという方もいらっしゃいました。
素晴らしき根回しです

ビジネスギフトと言っても、贈る人も貰う人も「人」
贈るときの思いに共感した人が、さらに盛り立ててくれることもありますので、ぜひきっかけにしていただきたいなと思います。

お客様かお聞かせいただくギフトのシーンは、とても参考になることが多いのですが、細かいシチュエーションを書くことができなくて、もどかしいです。何を贈るのかといった相談だけじゃなくて、贈る際のご相談などもお気軽に(^^)

507/1000

ギフトがきっかけになる

ギフトを贈るとき、どんな期待をしていますか?
私なら、喜んでもらいたいとか、例えば食べ物ならお口にあってほんの少しでも幸せな気分になればいいなとか、そんなことでしょうか。

取引先へギフトをお贈りされた方のお話です。
ビジネスでのギフトは結構あって、取引先にギフトをお贈りする機会が多くて、例えばお歳暮などは通例の流れ的なものになっている。けれど、関係性がとても深い相手には、いろいろと検討をするのだと。どちらの場合にもマナーは気にされているようでした。

前者なら、関係性の維持で、後者は関係性の強化といったところですね。いずれにしても、思いはあるわけですから、相手からの反応がないと不安になったり、関係性がこじれてしまいかねません。一人はかなり喜んだ様子で電話をかけてくれたけど、遠方に贈った相手からは何の連絡もないからわからないと寂しそうにおっしゃってました。

直接手渡しできないときは、宅配で贈るしかありません

先様へ直送するギフトは、心配がつきもの。届いたとの連絡があるとホッとしますよね。届いたことの連絡やお礼の言葉をまずは伝えるのはマナーですので、贈り先の先様からお電話やお礼状などでご連絡いただいている方は多いです。特にお電話でお礼の連絡があると、そのトーンから喜びの度合いがわかり、ご様子も聞けて、ちょっとしたビジネスのきっかけにもなった方もあり、今の時代らしいなと思いました。

でも、このマナー、習慣がない方もあります。
ビジネスとしては致命傷になりかねませんが、ただ習慣がないだけなので、こちらから連絡することもできますし、またその相手からギフトをもらったときにお礼状を出すことで伝わることもあるでしょうし、いつか何かのきっかけで学ぶことができるのではと思います。
私自身もこの仕事を始めてから学んだことが多々あり、マメでないうえに、できてないことだらけでしたので、そうあってほしいなと希望いりです(^_^)

すごく良いなと思ったのは
ギフトをお贈りする際に先方へお電話をかけられている場合もあるということ
到着前ならいつぐらいに届くとか、到着した後なら無事届いているかなどをお話しするのです。サプライズにはなりませんが、お話しするきっかけができてよいんだとおっしゃってました。

ビジネスって、相手と接触回数が多いほどよいといいますから、それが相手を祝福するギフトなら、これほど良いきっかけはないのかもしれません。

そんなことを肝に銘じで、大切にギフトを形にします

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シミュラクラ現象 -目は口程に物を言う-

ふっと見えたものが人の顔のように見えることありますよね。一人でボーっとしている時に、視線を感じるなと思ったら、ただの点の集まりだったとか。影の集まりだったとか、、、

これは類像現象とかシミュラクラ現象とかといわれているものなので、脳が人を認識するときに目を見る機能が本能的にあるからなのです。

苦手な相手とは目を合わさないし、逆に大尊敬の相手も神々しくて目を見るのをはばかることもあるかもしれません。目は口程に物を言うということばがあるように、目が語っているから、人は相手を知ろうとして目を見るのでしょう。

と、考えれば、表情もさることながら目もごまかしはききませんから、本心が丸写し。人間関係でテクニック的な言葉を使っても上手くいかないのは、この人苦手だなぁとか、相手を軽く見ていたりしていることが気付かれてしまっているということです。無理して言葉を発するよりも、相手を理解しようとすることがはるかによいですね。相手を理解するには、相手の言葉を聴かなくてはできないからです。ただ聞くのではなく、知るために聴くです

最近、ものすごく輝いている目を見つけました。友人が飼っているわんこです(*^^*)本当にキラキラしてるんですよ。純真無垢というか、動物と触れ合うと癒されるのは、これがあるからかもしれません。動物には思惑とかテクニックなんて存在しないからですね。

476/1000

思いやりの行き違い、押し付け

寒いですね(>_<)めったに降らない雪が舞ってます~~~

いきなりすみません。2月生まれの私は、本来なら寒さに強いはずなのですが、暑さにも寒さにも弱いぬるま湯人間です。

少し若いころは、温・冷・温・冷・・・と温度差のあるシャワーを交互にあびて、褐色細胞の活性化をはかリ…とか、自己機能を上げる努力をしてて少しはマシだったのです。でも、いつしかこの温度差で心臓発作を起こすのではないかと起こらないであろう可能性におびえてできなくなってしまいました。パートナーが心筋梗塞で倒れてからのことです。

私にとってパートナーの心筋梗塞は、人生にたくさんの意味をもたらしたできごとでした。幸いと心筋は60%以上も壊死したものの今は元気になって各地を飛び回ってます。ですが、そうなるまでにたくさんのことを乗り越える必要がありました。

まず私との関係もその一つ。まだまだ関係性ができていないときに倒れたものですから、パートナーは私に言えない思いをたくさん抱えていたし、私もどこまで入り込んだらいいのかわからず手探り状態でした。お互いにフィルターがかかった状態だと、フィルターをかけた部分に触れたときが大変です。静かな怒りが起こったり、さらにフィルターをかけることになったり。
こういう状態が続くと、いつしかお互いに話し合わなくなってしまうのですね。

先日、あるご夫婦のお話を伺いました。医者も手を挙げた状態だった奥様の回復を信じ、探しまくって見つけた治療で奇跡的に回復した大切な奥様だったのに、今では会話もなく冷戦状態とのことでした。深いところを伺っていないので想像しかないのですが、余命を宣告された大病を患ったという事実がお互いの気持ちにフィルターをかけたのではないかと少しばかり気になりました。

病気になると様々な制約が出てきます。例えば私とパートナーの場合、パートナーは退院後当分の間は歩くのが精いっぱいで一緒に歩いているとものすごく時間かかる上に休憩も必要でした。健康な私にはその辛さがわからず、ゆっくり歩いていたつもりがつい足早になってしまうことが多々あったのですね。それなのに、パートナーは自分の不始末でこんな大病患って付き合わせてしまっているという気持ちが働き、私にスピードを合わせるよう言うのを躊躇する。私は私でパートナーをどこか病人として、でも退院したのだから健常人としてみようとか、なんだか分けのわからない勝手な判断で中途半端な思いやりの押し付けをしてしまっていたように思います。彼の立場に立ってみれば、その押し付けがさらに自分が病人であることを自覚させ、申し訳なさを植え付けてしまったのではないかと。そういうことが最初のころありました。

お互いに話さなければ理解できないことは多々あります。話しても経験してないと、また経験してもその人の状況になってみないとわからないことも多々あります。

それほど簡単に理解できるものでないのに、勝手な思いだけで中途半端に思いやっても仕方がないと思えたとき、とにかくとことん向き合って話そうと思いました。

お話しうかがったご夫婦が必ずしもそうだというわけではありません。私の想像にすぎないし、人間関係って人が見るよりも複雑に絡み合っていることもありますから。ただ、せっかく救われた命だから、あきらめないで救った命だから、もしお互いに思いやったことが行き違いになって会話がなくなったのだとしたら、本当にもったいないし悲しいことです。もう一度、話し合いができたらいいなぁとおもうのです。

なんにしても、命が助かったこと、それは本当によかったです。
みんな幸せにな~れ

473/1000

苦しい時に愛の種を見つける

お師匠さんの発信している言葉の中に、苦しい時や辛い時に愛の種を見つけましたか?というのがありました。

いつもメルマガにご返信くださっている方がいらして、今回のお便りにご家族の病気のことがしるされていました。無理のできないご病気で、家事を代わりにやったりと生活が一変。それにもかかわらず、お便りくださっていたので、ご本人様が心配です。

といってもお見舞いの言葉しかお伝えできません。
ですが、その言葉を大切に受け取り、周りの方々に心配頂いて助けられていると感謝の言葉を送ってくださったのです。そんな大変な状況の中にも、笑顔の材料を見つけ、そして前に進んでらしている。涙出そうです

冒頭のお師匠さんの言葉「苦しい時に愛の種を見つける」がつながります。
この方は、大切なものをちゃんと受け留められているのだと。苦しい時はその苦しさゆえに自分の不幸を恨みがちなのですが、それを恨んでしまうとその恨みのエネルギーが自分自身に向けられてしまうという呪縛にかられます。他人をうらやんだり妬んでも同じ。自分自身の今あることを受け留めることで、大切な愛の種に気付けるのですね。

私は幸いとたくさん見つかりました。けれど、受け取る資格がないと無意識のうちに呪縛をかけていたようです。自分自身のことはなかなか気づけてないことは多いですね

471/1000

【お客様インタビュー01】ネットテレビ出演者様へのギフト

第1回 お客様インタビューです。
ギフトへの思いや贈った方の反応、そのほか私の気になることをお伺いしました(*^^*)

ご協力いただいたのは梶川信夫さん
東京で梶川塾主宰をされている方です。ビジョン実現アドバイザーとして、毎月1~3回ぐらいでネットテレビ「とどろき伝説」を主宰。様々な分野でご活躍中の方をゲストに招いて対談されていて、その時のお礼として記念グラスをご依頼いただいています。

私にとっては初の顔出し動画。写真でさえ苦手なところを、なんとアップになってしまいました。カメラの位置を気にしな過ぎて、、、
でもいろいろお伺いできたのは梶川さんのおかげです。

動画編集ができてないのとか、まぁいろいろと突っ込みどころ満載の動画ですが、笑って見流してください

466/1000

ジャッジもすべて一度受け入れてみる

人間関係の肝で「ジャッジ(審判)すること」の危険性はよくいわれるところです。人は多かれ少なかれ意識的にも無意識でも判断基準に他との比較があるのでジャッジをしているものだと思います。ただそれが多くなり過ぎると、ジャッジして否となれば、脳内ではより否を探し求め、相手をとことん糾弾する糸口になってしまいかねません。それは自分自身にも起こってくるわけで、しかもジャッジすること自体に判断決定が伴うのでエネルギーを使います。
(ジャッジについては検索するととても詳しくわかりやすい説明がたくさん出てきますのでそちらを見てね)

ここ1か月ほど支援いただいた方とお話しした際に気付いたことがあったのです。

自分に向けたジャッジも、自分自身に対するジャッジ
それに他人がいろいろとジャッジしていることも一度受け入れてみたときにみえることです。

ジャッジは意識レベル(顕在意識)よりも無意識レベル(潜在意識)で起こることが多いです。意識できていることはほんの数%で、無意識が占める割合はなんと95%。人は毎日9000回以上の意思決定をしているといわれ得います。その95%が無意識で行われていると考えると、かなりの恐怖です。
自分自身で気付いていないわけですからね

ところが、他人はその判断基準+行動・結果に対していろいろとジャッジしてくれるわけです。自分自身でさえも、「あぁ自分はなんてダメなんだ」とか、「これでは〇〇から評価されない」「自分が必要とされているのは、▲▲があるからだけだ」などとジャッジしてます。このジャッジが、心地よくないこと、心がざわつくことがあります。これが自分の無意識下が見える化するきっかけなのです。

そこに耳を傾けてみる、一度そのジャッジを有難い師からのアドバイスとして受け入れてみると、自分の恐れや願望が浮き彫りになってくるのです。ここ最近、それを何度も経験しました。

そして、逆のパターンもあります。
それが、よくジャッジしている人の言葉に耳を傾けること。その人の潜在意識がほんの少しでも観えはじめます。ここまで書いてて何なのですが、ジャッジはネガティブなことばかりではなく、よいジャッジもあります。なので、相手が本当に求めていることがわかるきっかけになるのだと思うのですね。

だらだら長く書きましたが、2行でまとめれます(笑)

良くも悪くもジャッジしている人の言葉に耳を傾ける
これが、相手(自分も含め)をより知ることにつながるのだと。

464/1000

言葉の癖は潜在意識にあるもの

無意識に使っている言葉を意識してみるといろいろなことが観えます。

ここのところ口癖になっていたことを指摘されてハッとしました。そんなつもりはなかったのに、と思っても、これが私の潜在意識を占めているものなのです。ひゃーーー。たかが言葉と思うなかれ、そう自分に言い聞かせました(^_^;)

さてさて、そういう言葉のお話をしていた時に、相次いで言葉についてのお話を目にしました。自分が言葉を意識しているからキャッチしやすくなっているのはあります。が、今かみさまからのお試しが来ているのだなぁとおもわずにはいられません。

その1つが今日読んだメルマガです。

言葉のクセというのは
中々直らないものですね。

人前で話していて、
いつも同じ言い回しをしている自分に
恥ずかしくなることがあります(笑)

意識すればするほど、
長年使った言葉のクセは手強く、
無理に矯正しようとすると、
会話がぎこちなくなったり
咬んだりするので実に厄介です。

私たちの会話は、
肝心の部分を省略したり、
歪曲して話すことが多いです。

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そう、まさに!です。ものごとは全ていろいろな側面を持ってます。ポジティブなこともあればまた逆も。そして、どちらともない側面だってある。それを一つの視点だけにしてしまうのはあまりにもったいないなぁと、読んでていろいろと気付かされました。

ネガティブな言葉をポジティブに変える方法など分かりやすいように書かれてますので、上記リンク先で読んでみてくださいね

 

453/1000