カテゴリー別アーカイブ: 5.人間関係

思いやりの行き違い、押し付け

寒いですね(>_<)めったに降らない雪が舞ってます~~~

いきなりすみません。2月生まれの私は、本来なら寒さに強いはずなのですが、暑さにも寒さにも弱いぬるま湯人間です。

少し若いころは、温・冷・温・冷・・・と温度差のあるシャワーを交互にあびて、褐色細胞の活性化をはかリ…とか、自己機能を上げる努力をしてて少しはマシだったのです。でも、いつしかこの温度差で心臓発作を起こすのではないかと起こらないであろう可能性におびえてできなくなってしまいました。パートナーが心筋梗塞で倒れてからのことです。

私にとってパートナーの心筋梗塞は、人生にたくさんの意味をもたらしたできごとでした。幸いと心筋は60%以上も壊死したものの今は元気になって各地を飛び回ってます。ですが、そうなるまでにたくさんのことを乗り越える必要がありました。

まず私との関係もその一つ。まだまだ関係性ができていないときに倒れたものですから、パートナーは私に言えない思いをたくさん抱えていたし、私もどこまで入り込んだらいいのかわからず手探り状態でした。お互いにフィルターがかかった状態だと、フィルターをかけた部分に触れたときが大変です。静かな怒りが起こったり、さらにフィルターをかけることになったり。
こういう状態が続くと、いつしかお互いに話し合わなくなってしまうのですね。

先日、あるご夫婦のお話を伺いました。医者も手を挙げた状態だった奥様の回復を信じ、探しまくって見つけた治療で奇跡的に回復した大切な奥様だったのに、今では会話もなく冷戦状態とのことでした。深いところを伺っていないので想像しかないのですが、余命を宣告された大病を患ったという事実がお互いの気持ちにフィルターをかけたのではないかと少しばかり気になりました。

病気になると様々な制約が出てきます。例えば私とパートナーの場合、パートナーは退院後当分の間は歩くのが精いっぱいで一緒に歩いているとものすごく時間かかる上に休憩も必要でした。健康な私にはその辛さがわからず、ゆっくり歩いていたつもりがつい足早になってしまうことが多々あったのですね。それなのに、パートナーは自分の不始末でこんな大病患って付き合わせてしまっているという気持ちが働き、私にスピードを合わせるよう言うのを躊躇する。私は私でパートナーをどこか病人として、でも退院したのだから健常人としてみようとか、なんだか分けのわからない勝手な判断で中途半端な思いやりの押し付けをしてしまっていたように思います。彼の立場に立ってみれば、その押し付けがさらに自分が病人であることを自覚させ、申し訳なさを植え付けてしまったのではないかと。そういうことが最初のころありました。

お互いに話さなければ理解できないことは多々あります。話しても経験してないと、また経験してもその人の状況になってみないとわからないことも多々あります。

それほど簡単に理解できるものでないのに、勝手な思いだけで中途半端に思いやっても仕方がないと思えたとき、とにかくとことん向き合って話そうと思いました。

お話しうかがったご夫婦が必ずしもそうだというわけではありません。私の想像にすぎないし、人間関係って人が見るよりも複雑に絡み合っていることもありますから。ただ、せっかく救われた命だから、あきらめないで救った命だから、もしお互いに思いやったことが行き違いになって会話がなくなったのだとしたら、本当にもったいないし悲しいことです。もう一度、話し合いができたらいいなぁとおもうのです。

なんにしても、命が助かったこと、それは本当によかったです。
みんな幸せにな~れ

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【お客様インタビュー01】ネットテレビ出演者様へのギフト

第1回 お客様インタビューです。
ギフトへの思いや贈った方の反応、そのほか私の気になることをお伺いしました(*^^*)

ご協力いただいたのは梶川信夫さん
東京で梶川塾主宰をされている方です。ビジョン実現アドバイザーとして、毎月1~3回ぐらいでネットテレビ「とどろき伝説」を主宰。様々な分野でご活躍中の方をゲストに招いて対談されていて、その時のお礼として記念グラスをご依頼いただいています。

私にとっては初の顔出し動画。写真でさえ苦手なところを、なんとアップになってしまいました。カメラの位置を気にしな過ぎて、、、
でもいろいろお伺いできたのは梶川さんのおかげです。

動画編集ができてないのとか、まぁいろいろと突っ込みどころ満載の動画ですが、笑って見流してください

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内助の功で支えてきてくれた妻へ感謝したい

長い間勤めてくれた社員の定年や、お世話になった上司のご定年、同僚の栄転、部下の結婚退職、家族の定年退職など、、いづれも退職された方へその周りの方がする退職祝い。多くは退職者へのギフトですが、その退職者を支えてくれた奥様や家族にも感謝を伝える贈り物をご依頼いただきます。

こういうギフトに触れるたび、人って温かいなぁといつも思えます♡

定年を迎えられた方ご自身が「内助の功で支えてきてくれた妻へ感謝の品を考えたい」というご相談をいただいたことがあります。ご定年は、これまでの人生を一変させる節となるときで、引継ぎや身の回りのことで多忙ではないかと思います。そんな時にもご家族を思えるって、すごく素敵なことです。

私もこんな風に思える人でありたいと願ってます。

 

↓ 定年退職者と支えてくださった奥様へ贈るメッセージのギフトです

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上司への贈り物のタブー-お問い合わせより

本日もお問い合わせから
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上司の就任祝いに時計を考えているのですが
失礼はないでしょうか

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上司や目上の方への贈り物に失礼があってはならないと、大変に気を遣うところですね。

昔からの古いしきたりでは、現金生活必需品は施しになり、靴下は「相手を踏みつける」として目上の方への贈り物にタブーとされてきました。

比較的新しいものとしては、は「もっと勤勉に働いて」「精進を」、ベルトは「腹を締めてかかりなさい」「気を抜くな」という意味があります。文具品などさえもNGとされていることもあります。また、時計では腕時計が時を正確に刻むモノを身につけることから「勤勉に」との意味合いがあり、タブーとされています。時計なら置時計や掛け時計に変えるのがいいですね。

ただし、現金以外は上記のどれもがお祝い品として人気のあるアイテムとしてあがっているもので、考えてしまいます。

贈り物の最大の目的は、先様を祝福したり喜んでもらうこと。先様が喜んでいただけることを考えると、ご本人のリクエストであればタブーとされるものでも問題ありません。反対に古いしきたりを重んじられる方には、タブーとされているものは避けたほうが良いでしょう

モノに意味合いを込めるのは日本人の長所でもあります。
それがタブーとされる意味だけでなく、モノの持つ長所も見たいところ。物事は長短、善悪、明暗一対で、状況により変わります。先様に合わせてその贈り物の意味も添えてお贈り出来ればよいですね。

冒頭のお問い合わせの方は、上司へブルーアースデスククロックをご依頼いただきました。
青い地球が海外でも活躍している上司にぴったりだったということで、そのことをお伝えされたそうです


ブルーアースデスククロック

ちなみに掛け時計は、新築祝いとしてなら壁に穴をあける必要があり、これもタブーとされてます。

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出会は偶然を装った必然だからこそ

現在月1ぐらいでメルマガを発行しており、お便りをいただきます。その中のお一方は毎回お便りをくださって、1か月の間の旅行や家族のお話などしてくださるので、まるで家族の一員に加えてくださったかのようなのです。お便りの数が少ないから一つ一つお返事ができているのもありますが、きっとこれが多生の縁なのだと思い、大切にご縁を紡いでいます。

お師匠さんがよくおっしゃる言葉に、「出会(愛)は、偶然を装った必然」というのがあります。大切な方への贈答品をあまたあるギフトショップの中から選んでいただいたのは偶然としかいいようがないのです。でもそれから5年、ご縁は続いてます。

話は少し変わります。初めてブログを書きだした15年ほど前、まだブログという名前ではなく楽天日記と呼ばれていた時代です。その頃、ネットに対してあまり良いイメージはありませんでしたが、そんなこととは裏腹にその時に知り合った方々とも長いお付き合いがあるのです。雲の上のような方と知り合えたのもそうでした。ふりかえってみれば、苦手なことや敬遠していたことの中に、多くの宝があったなぁと。

ネットショップを運営していてもネットの怖さはまだあります。でもその反面、出会うことのできなかった方々にも会えたのはネットなのですね。

お客様のアンケートで、ご不安だったことは?に対するお答えが「インターネットなのでちゃんと届くかどうか」「要望に応えてくれるのか」「アフターがあるのか」「イメージ通りになるのか」など、顔が見えないだけに対応に関するご不安がより大きいように思います。オーダーメイドということは差し引いてもです。

私も経験者なので気持ちがわかります。顔が見えない分、お電話やメールなどとことんご納得いくまでご相談させていただきたいなと思います。なんといっても偶然を装った必然のご縁ですから

小さなことでもご遠慮なくご相談くださいね
お問い合わせ

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記憶をなくしても母は母のまま、記憶を引き出したのが母としていること

母が認知症を患ってから数年
昨年の夏の旅行までは私のことをちゃんと認識していました。旅行は母自身の体調不良で少し辛そうでしたが、認知症が原因ではなく、まだ記憶もしっかりしていたほうでした。ところがそれから数か月後の1年前の今頃には、私のことは認識できず見知らぬスタッフだと勘違いするように。

私のことが認識できなくなるのは病気ゆえでいつかはそうなるだろうと特に覚悟もいらず受けとめていました。が、そんな予想とは全く違う現実にショック。私を見知らぬスタッフと勘違いしたために終始私に気を遣うようになったのです。毎年母を連れて父の墓参りをしていましたが、父のこともよくわからず、寒い中、気を遣わせるだけの辛い時間を過ごさせてしまったのです。会いたいけれど、気を遣わせてしまう、、、

今年に入って、今までの施設では対応できないとのことで施設を変わることに。それまでの施設は一人につくスタッフの数が多くて手厚いケアのおかげか母はいつも笑顔。ですが、1年ぶりにあった母からは笑顔が消えていました(TT)

とはいえ、新しい施設は評判もよく、スタッフも含めた雰囲気の良いところです。前のところがよほどよかったのでしょうね。自分では何もできない現実に涙が止まりませんでした。そうしたら、母が「帰ろう」と言い出したんです。ほんの少し記憶がよみがえった!?私が「何もしてあげられなくてごめんね」というと、以前の優しい満面の笑みで「大丈夫よ~」と言ってくれたのです。

記憶をなくしても母は母のままでした
記憶を引き出したのが母としていることでした

私の母でいてくれてよかった
きっと、私と同じように考えられている方は多いのでしょう。私は遅まきながら、母を母としてみとめ、母に甘えることができました。辛くて、でも心温かな時間を過ごすことができて幸せです。

私的なことばかりになってしまいました。
ちゃんと書きたいと思ったのは、「お母様へのギフト」をご提案しているからです。母に本当の意味で甘えることができなかった私ではなく、母を母として受けとめることができた私がご提案できればなぁと。例え、提案するものは同じになっても、気持ちを共有できるって大切なことだと思うからです

ギフトをご依頼いただく際は、ぜひお気持ちもお聞かせいただければ嬉しいです


もの欲しそうに見ているのが私(笑)

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無口なご近所さん

早朝にごみを捨てに行くと必ずいるご近所さん。シャイなのか挨拶はする者の目を合わせないようにされてました。特に何かトラブルがあるということではありません。ご近所さんたち、みんな友好的でして、挨拶はして下さるのでそれほど気にもしてなかったのです。

で、今朝もその方が。年末の断捨離で私は大きなゴミ袋を3つ持ってたのです。しかも、どれも結構重い。重そうに持ってた私の姿を見るや否や近くに寄ってきて持とうとしてくださるんです。(@@)初めてのことでびっくりです。お礼を言って断ったのですが、イヤ持っていくよと言ってスタコラとゴミ置き場へ。なんだか、すみません。あれ、なんであやまるんだろう。兎にも角にも説明のつかない気持ちでしたが、とってもありがたかったです

相変わらず言葉少なかったのは性質だったのかもしれません。奥様のほうはとってもフレンドリーでよく話しかけてくるんです。深くというほどの付き合いはあった苦ありませんが、少しでも踏み込んでお付き合いができるともっと良い関係性ができるのかもと、すこーし期待してます。

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出世した人だって無能になるピーターの法則

ピーターの法則とは、教育学者ローレンス・J・ピーター氏が提唱した法則で、社会学的な見地から能力主義社会における人材の特徴を説いたものです。
概略としては

  1. 人は能力の極限まで出世する。「無能な人」はそのままで、「有能な人」は昇進し続けるため、能力の限界に達して「無能」になり、無能な中間管理職に落ち着く。最終的に、どのヒエラルキーも無能な人たちばかりになってしまう。
  2. その組織の仕事は、まだ無能に達していない出世の余地のある「有能な人」によって遂行される
    (参考:Wiki)

小人数だとこういった問題は起こらないとは思うのですが、日本の大企業はよくある問題なのですね。たまに中間管理職者さんたちへの愚痴を聞きますし、また逆もあります。流石にギフトの場でそんな話は出ないのですが、どこにも少なからずあるのだろうなと思います。

無能となった中間管理職(、、、これ大変に言葉が悪いですよね。すみません。でも、このままでいきます)の方々もかつては有能だったわけです。これを『水』や『血液』に例えてみるとわかりやすいのかなぁと。

川の水は流れている時は澄んでいるのに、いったん汲み上げてバケツに入れておくと圧倒言う間に腐敗してしまいます。水が流れ続けるのは、取引先と商談したり、社内でプレゼンしたり新規事業を組んだり、もっと行けばマネージメントをしたり、、、に通じ、水を汲み上げるのはつかんだ役職に執着して本来の会社の目的を遂行することではなく、自分の役職を脅かしそうな人やことを排除することにやっきになることと同様ではないでしょうか。

こういった会社に勤めたことがなくて人の話ばかりなため、想像だけでごめんなさい。
けれど、一つだけわかることは、確かに有能な時があったということです。だから、その有能を生かせること、組織の本来の目的を思い出すことが、会社にとっても本人にとっても周りにとって幸せだと思います。

そして、一番気になるのが、無能とされている人。何で無能と言い切っちゃうのかなぁ。無能というのはヒエラルキーで考えれば仕方ないかもしれませんが、人の感情はそんなものだけで決めれるものではないと思います。もちろん、その職に対して向き不向きはあるけれど、表現を変えたり、何か生かせれることを発見することでチャンスがあるかもしれないですよね。

ここまで書いておいて何なのですが、ピーターの法則には、ちゃんと解決方法が示されています。現在の仕事に専念している者は昇進の代わりに昇給させるとか、十分な訓練を受けた者を昇進させ、昇進の前に管理能力に欠ける者を発見することなど。

人を人として大切に見ていくと、見えてくるものがあるのではないかなぁと思う今日この頃です

ピーターの言葉
あらゆる有効な手段は、より困難な問題に次々と応用され、やがては失敗する

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役職名につける「様」はあり?

呼び捨てにしているような感じがして役職名だけではもの足らずつい「社長様」と言ってしまいそうになる言葉。けれど、役職名には「様」をつけません。役職名が敬称なので「様」をつけると二重敬称になってしまうからです。

そもそも「様」は、方向を示す「さ」とそれにつける接語の「ま」の合わさった言葉で、人や神仏など人に類するものにつけます。神様・仏様がそうですよね。会社でも〇〇株式会社様といった使い方をされます(宛名や文書では〇〇株式会社御中が一般的)

様をつけたい場合は、
「〇〇部長様」ではなく、「部長の〇〇様」とします。

と、ここまでは一般的なマナーなのですが、昨今では「〇〇社長様」など広く使われているようです。マナーは時代とともに少しづつ変わってます。とはいえ昔ながらのマナーを大切にされている方にとって、受け入れがたいのも事実。せっかくの敬称も先様に受け入れられなければ台無しですから、相手やシチュエーションなどに合わせることも大切でしょう

関連記事 「殿」と「様」 どちらが正しい?

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白紙説 -性悪説?性善説-

世の中にはいろいろな理論があって、どれもこれも理路整然とあるものですから、つい納得してしまいます。そんな私は、友人から「性善説と性悪説、どっち派?」と聞かれ、即座に性善説派と答えた覚えがあります。

とはいえ、性悪説もなるほどなと思うところが多く、はっきりこっちだと言い切れるものではないのです。さらにです、白紙説もあると知り、私の頭はさらに複雑化してしまってます。もともと感覚的に生きているので、理論を並べ立てるのは苦手(^_^;)

少し整理をしたくて書いてみることにしました。

性善説
儒家の孟子が説いた、人は先天的に道徳的で善であるというもの。人は善であっても賢にあらず、弱く悪に流されてしまいやすいもの。なので修業は必要で、修行や育成により開花させることができればで立派な人間になれる。

性悪説
同じく儒家の荀子が説いた、人は生まれたときは善でも悪でもなく、後天的に経験したことや環境などによって悪にも善にもなるというもの。修行することで善になるというのは性善説と同じ

性悪の「悪」はいろいろなとらえ方をされて、“ 人は本来は悪であり、修行によって善人になれる“ というのと、“ 人は本来悪であるから、人を見たら疑ってかかるべき“ というのがあるようです

白紙説
ジョンロックが説いたもので、人は生まれたときは白紙(タブラ・ラーサ、羅:tabula rasa)として生得観念(innate ideas)を有していない。観念の起原はあくまでも経験であり、我々の側にあるのはせいぜいそれらを認識し、加工する能力だけである。(wikiより)。
白紙の心に、積み重ねた経験により心が出来上がるというもの。善だの悪だのと言っているのは経験に基づく感覚(ジョンロックをはじめとする感覚論より)

性悪説と白紙説は、先天的なものではどちらも善悪の区別はなく後天的にというところで似てますね。性悪説の「悪」を善の反対と思ってしまうと、別物になってしまいますね。

どれも至極納得してしまう私はなんなのでしょうか(滝汗)
経験や環境によって形成されたり、白紙論のように後天的に観た感覚にすぎないというのは、すごく同感します。

ただ、人は生まれながらにもった愛があるように私は思ってます。前世だとか全く見えないのですが、なんとなく感覚で未経験のことにまで反応してしまうものがあり、それが生まれ持った愛なのかなと思うのです。情というか愛、親子愛や同士愛、郷土愛、ペットや植物、モノなども含めてです。もしそうであるとしたら、せっかく生まれ持ったものなのに、自分の弱さやつまらないことで失われたり、悪の道に引っ張られたりは、寂しいことです。ですので、善悪というほどではないのですが、私の考えは性善説に近いかなぁと

ま、とらえ方はいろいろあれど
人が修行して善行を行うのは全部共通してますから、日々精進します

 

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