カテゴリー別アーカイブ: 9.アート、工芸

ダズンローズデー -12月12日-贈ると幸せになれる

今日12月12日は「ダズンローズデー」です。ブライダルファッションの第一人者である桂由美さんと内田和子さんで提唱された記念日で、12本のバラを愛のあかしとして恋人にプレゼントします。欧米では12本のバラの花束を恋人に贈ると幸せになれるという習慣があるとのこと。ダズンは1ダースという意味ですね

12本のバラはそれぞれ、感謝・誠実・幸福・信頼・希望・愛情・情熱・真実・尊敬・栄光・努力・永遠を表現しています。感謝が一番にくるって素敵ですね。

ちなみに、バラ1本だけだと「あなたに一目惚れしました」「あなたしかいない」の意味。2本なら「二人の愛」99本は「永遠の愛」。100万本のバラという歌があったけど、100万本だとどういう意味になるのでしょうか?

3本は「愛してる」のサイン。あれ、これも歌の歌詞ですよね


ウェルカムボードぶ~け ばら ガラス彫刻工芸作家 ゆかい

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江戸時代のリサイクル -ギフトの使いまわし、金継ぎ-

江戸時代のリサイクルがすごかったという話が出て、とにかく下肥と呼ばれる排せつ物のリサイクルが一番盛り上がってました(^0^)いきなりなお話でごめんなさい。元エステティシャンということもありお通じのお話は日常的でしたし、今は健康に直結することから大病を患った家族のこともあり、全然違和感を感じないんです。

汚くて捨てるものにも、その価値を見出しリサイクルするなんてホントすごいですよね。エネルギーに変えたり、肥料にしたり、そのおかげで町はきれいだったといいます。当時の日本に訪れた人たちは江戸の町のきれいさに驚いたようです。そのころ、日本と同じように道端で排泄していたパリでは歩けば踏むという悲惨さ。でもそれがあって、香水やより踏む部分の少ないヒールなど素晴らしいアイテムが生まれたのですよね。

文化はこうやって発展。時代をその時々の生活からみてみると、いろいろと発見があって楽しいです。

さて、江戸のリサイクルでは、家具・道具・衣服・紙屑に至るまで徹底的にリサイクルされ、不用品などもラッピングをして贈答品にしたりと、とにかく無駄がなかったんですね。ものあまりの現代で、お歳暮などを使いまわしているのとあまり変わりがないかもしれません。贈ったほうとしては嬉しくない現実ですが、無駄に箪笥の肥やしになるよりよいのかな・・・

リサイクル文化から芸術も生まれます。
陶磁器類を使っていると欠けたり割れたりは避けられません。現代ではちょっとかけたらすぐに捨ててしまうものですが、江戸時代は溶いた白玉粉などを接着剤にしてくっつけて焼き上げ再生していました。簡単な処理です。高級な陶器は漆を使って接着します。これが金継ぎです。新たな命を吹き込まれた再生アートは、永く親しまれ、現代でも大切にされているのです

ガラスもペレットにしてリサイクルされたり、ステンド技法で新たな命を吹き込んだ利があります。アトリエピジョンでは、サンドブラストでできること、ガラス片の端を処理して箸置きやミニトレイなどをつくってます(^^)
↓↓ こんな感じ

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ピエタに見る愛のカタチ

多くの芸術家が作品に用いたピエタ。特にミケランジェロの作品が有名で教科書でも掲載されているので誰しもが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか

ピエタ(Pietà)はイタリア語で哀れみや慈悲を意味する言葉で、十字架から降ろされたイエス・キリストの遺骸を抱いて、わが子の死を嘆き悲しむ聖母マリアの姿をモチーフにした彫刻や絵画などをいいます。(参考Wiki)

このピエタという言葉の語源はラテン語の敬虔を意味するピエタス(pietas)にあり、敬虔とは特に神仏などに深く敬いつつしむさまのこと。とすれば、わが子の死としてより神の子キリストへの畏敬の念を表したものと考えるものなのでしょうか。もしくはどちらも・・・

私自身はキリスト教徒でもなく子供もおりません。ですので、このことについて言及するなとお叱りうけそうですが、このお姿こそ生あるものの全てに共通する愛のように感じてます。つい先日、バッファローがライオンの餌食になりかけたところ仲間が見つけライオンを追い払う動画を見ました。次々と仲間たちが寄ってくるのですが、時すでに遅しで餌食になりかけたバッファローは命を落としてしまいました。それを嘆き悲しんでいるかのようなバッファローの姿を見て、思い出したのです。

ピエトロ大聖堂のものは、聖母マリアのお顔が慈愛に満ちた表情がなんとも美しいもの。やはり深い愛を感じずにはいられません。それにしてもミケランジェロってすごいなー


サン・ピエトロ大聖堂のピエタ(ミケランジェロ)

ミケランジェロが手掛けたピエタは4つ
でもピエトロ大聖堂のピエタ以外は未完成なのだそうです。
4つも手掛けてたの、初めて知りました(@@)

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不遇もなんのその空間・時間、すべての質感を表現したベルニーニ

バロック美術巨匠 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞されたほど。1598年にイタリアに生まれ、ローマで50年以上の間、建築、モニュメント、彫刻など様々な分野で多くの傑作を残しました。

幼い頃から彫刻家として活躍した父のもとで、素晴らしい作品の中で過ごしていたからか早くからその才能を発揮し、25歳でバチカンからの注文を受けるようになります。ところが手掛けたローマの象徴ともなるサンピエトロ大聖堂の鐘塔に亀裂がみられ、評判を大きく落としてしまいます。元々若くして活躍していたため妬まれていたことや引き立ててくれていた教皇が亡くなったことでさらに厳しい立場となります。

10年以上もの間、不遇の時代を過ごす間も作品を作り続けます。その不遇の時代に仕上げたものが「聖テレジアの法悦」

Estasi di Santa Teresa

これが評価されてないときにつくられたなんて思えないですよねっ
でも、亀裂はみかけばかりのベルニーニという評価になってしまってたので、この精巧さや表現力が余計にあだになったのかもしれません。

彼にとっては不遇など関係ないのかもしれません。
不遇の時代も含め、ベルニーニの作品には物語や時間の流れといったものがうかがえ、また質感や細部までの表現が超絶というかもう何をも超えたものとなり、多くの人を魅了します。大理石を葉っぱの一枚に至るまで丁寧に削り出したり、石なのに支えた指が食い込んだ太ももの
柔らかさやエロティックさ、あり得ないほどのヴェールの透明感… その表現力に言葉を失
うばかりです。

ずっと自分なりの作品を作り続けてきた結果、またバチカンでの仕事を請け負うようになり、ルーヴル宮殿改築の仕事でも声がかかります。

とにかくかっこいい生き方ですよね♪
ついでに、、、ベルニーニ自身も結構なイケメンさんです(*^^*)

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サルバトール・ムンディにみる陰陽

レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の名作とされていたサルバトール・ムンディ。2017年11月に美術作品史上最高価格(約508億円)で落札されたことで話題になったので、ご存知の方も多いでしょう。

サルバトール・ムンディは、ラテン語で「救世主」を意味するもので、イエスキリストを描いたものです。ダヴィンチの作品の一つであるウィトルウィウス的人体図では、ウィトルウィウスが「シンメトリは神の姿の現れであり理想の形」と提唱しているようにシンメトリの理想形が描かれており、サルバトール・ムンディもまた神を表現したのではという説があります。

ところが、正面を向いているものの左右非対称の表現で、左が男性的で右は眼が大きく頬もふっくらとして女性的。この点でも憶測が憶測を生んで様々な議論がされているようです。でも、誰も真実を知ることは出来ないのです。

なので、私も勝手に憶測してみました(^_^)
ダヴィンチほど理論も知識も絵画の技術もあったなら、表現したかったことはそのまま映し出されているのだと思うのです。神の理想形であるシンメトリの中にあえて、アシンメトリなものをいれバランスをとっているなら、これは陰陽の表れではと。キリスト教はよく知らないので陰陽という言葉を使ってよいのかはわかりません。けれど、光と影、男性と女性性と考えれば、腑に落ちたように思います。ま、勝手な憶測なのですが

Leonardo da Vinci, Salvator Mundi, c.1500, oil on walnut, 45.4 × 65.6 cm

ところで、サルバトール・ムンディはモナ・リザと同じモデルではと考察されている方も多くて、並べてみると、男女の違いは在れど左目が小さくて頬のふくらみ具合や鼻の曲がり方、肉付きなどディティールがよく似てます。

左右を分割して考察されているものを読むとなるほど納得な部分も多く、想像はますます膨らみますが、どこまでも想像でしかないのでしょう。謎だからこそ、魅力があるのかもしれませんね

Mona Lisa, by Leonardo da Vinci, from C2RMF retouched

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ガラスの歴史  ローマンガラス

古代メソポタミアの時代から始まったガラスの歴史。キャスティング(鋳造)やコアガラスと呼ばれるメソポタミアの技法は現代でも使われていますが、ひとつづつガラス芯や鋳造型を作る為、時間がかかり高価なものでした。しかし紀元前1世紀のローマ帝国時代、吹きガラスの技法が発明され、ガラスの歴史は一変します。

現代では、ひとつづつ成形する吹きガラスは、工場で大量に生産できる成型ガラスから比べると手間のかかる製造方法で、とても高価なものですがローマ帝国時代では、画期的な方法だったのでしょう。鋳造やコアガラス技法で製作する際にかかっていた時間は大幅に短縮され大量生産が可能になり、低価格を実現。ごくわずかな裕福な人達しか持てなかったガラス器が一般庶民の器として広がり、日常的につかえるようになったのです。器だけでなく皿や瓶、鉢、置物、窓ガラス、ランプなどにも応用され、これらの品は交易品として世界各地に広がっていきました。

こうなると産業だけでなく、芸術としても発展します。ローマ帝国以前のプトレマイオス朝時代で生まれたミルフィオリなどを受継ぎ、新たに生まれた様々な装飾技法とともにこのローマ帝国時代で進化していきました。

一方、日本では古墳時代にこのローマンガラスなどが伝わったとされています。そしてファンの多いヴェネチアンガラスは、これらを受け継ぎながらうまれ、7世紀前半には中近東一帯を皮切りにイスラム文化圏で、エナメル彩や金彩など美しい装飾技術で高度な発展をとげます。

しかし、これだけ発展を遂げたにもかかわらず、古代からのガラス技法は今も受継がれています。大量生産ができないだけに一般で目にすることはほとんどありませんが、それぞれの技法でしか表現できないものがあり、それに魅了されたコアなファンも多いようですよ。私もその一人です(^^)v

Cirkusbæger-fra-Varpelev DO-2608 original

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産業と芸術、それにちょっと横暴とも思える欲のおかげで

ガラスの歴史は古代メソポタミアに始まるとても古いもので、生活に必須だった呪術や器などに使用され、産業として発展してきました。産業が発展するところには芸術もあり。磁器もガラス同様で、世界を渡り産業や芸術の世界で発展を遂げたのです。

中国から、始めて西洋に磁器が渡ったのは12世紀ごろ。その頃、西洋にはくすんだグレーや赤褐色の陶器しかありませんでした。そんななかで、中国の白くて硬い、また薄く光にかざせば透き通り、音も澄んでいる美しい磁器に、西洋人は魅了されたのです。

17世紀頃の西洋の王侯貴族や富裕層の間では東洋の「白い磁器」など東洋への憧れのシノワズリが大流行。これにより中国や日本から膨大な磁器が輸出されました。東洋から運ばれてきた磁器は「白い(黄)金」と呼ばれ金銀や宝石と同様かそれ以上の価値を持つものとして宮殿や大邸宅に飾られます。やがて権力者たちは自分たちで磁器を作ることで東洋に流れる膨大な富を得られると考えヨーロッパ各地でその事業に取り組みました。

最も熱を入れていたザクセン王アウグスト二世は時の錬金術師ベットガーを幽閉し、白磁器の研究を強要します。そうして9年間にわたる試行錯誤の末、ベットガーは、カオリン(磁器土)を使い白磁器の製造を成功させました。この成果を元にマイセンに「王立ザクセン磁器工場」が建てられ、製造の秘密を守るため工房をアルブレヒト城に移設。ですが、陶工たちの逃亡や買収などによりドイツから広まって、ヨーロッパ全土で白磁器が作られるようになっていったのです。

産業と芸術、それにちょっと横暴とも思える欲のおかげで今では白い磁器は安価で品質の良いものが大量に生み出せるように。といっても芸術品はやはり大量にできるものではなく、価格はえっ!と驚くほどの高級品。技術が進んでいるだけに百均のものと一瞬では判別つかないかもしれませんが、見る人が見ればわかるというもの。どの世界でも同じですね。陶器や白磁、さっぱり見る目がないので、養いたいものです

 

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自由の本質:マティス 枠の中の表現より

私たちが手掛けているガラス彫刻工芸では平面のものをより立体的に見せるため作家が
日々研鑽し様々な技法をあみだしてます。立体的に見えると、そのものの世界観までつかみやすいですね。

学生時代の美術の授業では絵は遠近感を出すよう教えられ、その技法として遠くのものを小さく描き、色調では青系で手前を黄系にあわせるよう教えられてきました。浮世絵のような二元的になると、ここは小さく描いたほうがいいなどと指摘されたものです。そうすると絵が途端にうまく見えるのですよね。もちろん、視点が定まってそこから遠近感をだす必要はあります。視点が定まってない遠近感は逆に違和感が出て、それこそ異空間に入ったようになってしまいます(^_^)

ところが、色彩の魔術師であるアンリ・マティスは多くの素晴らしい絵とは全く逆の手法をとるのです。マティスは、印象派やフォービズム、キュビズムと様々な表現や内省的感情の表出(?と言ってよいものか)してきました。その中でとても印象的なのは、絵であるという枠にこだわった表現方法です。二面の中に表現するのだから三次元的に見えないものというこだわりでの手法をとります。

この「キヅタの花」は遠近感の手法を全く逆にしていることで平面的に見えます。もちろん、それだけの単純なものではないけれど、一般的な(と言っていいものかはわかりませんが)常識を簡単に覆しています。

平面の絵の中の表現と言う枠の中に捉われているようで実は一般的な常識からは外れている。枠の考え方もいろいろですね。考えるべきは、枠があることではなく、制限など何かに捉われているかどうかということなのかもしれません。制限に捉われるのでなく制限を活用する。これが自由の本質と感じずにはいられないのです。

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応為(おーい)

名前はとても大切。毎日、お名前を彫っていると、よりその思いは強くなります。名前が入っていることで、喜ばれ方が変るんですよね。だから、ありとあらゆるものにな入れサービスが生まれてきているのだと思います。

それほど大切な名前ですが、安易につけられちゃった名前も結構あるようです。ちなみに私の名前は「由香」ですが、父が自分の名前から一文字とってつけようとした名前をあまりにもダサいと感じてしまった母が、あわてて当時はやってた名前につけかえたものなのです(^_^;;)
そのつけ方のほうがダサい?かも(笑)

閑話休題

私の本名の話ではなく、後世に残る画号が安易過ぎちゃったかも?な方がありました。

本名は お栄(阿栄)

お栄の父は、冨嶽三十六景など天才的な作品を遺した江戸時代後期の浮世絵師 葛飾北斎。お栄もまた現代にでも通用しそうなすばらしい絵を遺しているのですが、その画号が葛飾応為(かつしかおうい)

父である北斎が、お栄を呼ぶときに「おーい」と呼んでいたためついた号だそうで、なんともまぁユニークです(^_^)

画号もユニークならその生き方もユニークで、北斎ともども超自由人で、片付けられない二人は引っ越しては汚し、汚れたらまた引っ越すを繰り返してたそうです。とにかくごみ溜めのような中で二人は絵を描き続けていたとのこと。

その才能はすばらしいもの
天才北斎が美人画を書かせたら応為にかなう者はいないと言わしめたほどの天才で、光の表現が秀逸で、また色彩感覚がずば抜けてて、当時の絵とは思えないほどの美しい画を残してるんです。
その一つが、吉原格子先之図 ↓↓↓

当時で、光と影をこんな風に表現されてるなんて、なんというかすごい。応為は北斎の助手をしていたこともあり、遺された作品は少ないのですが、その色使いや光の取り入れ方ものの捉え方は際立ってます。なのに、その評価は亜流としてのもの。画号のせいではなのでしょうが、もし画号がどうでもいいつけかたでなかったら、、、と思わずにいられません(余計なお世話ですけどね)
天才親子の合作

唐獅子は北斎、周りの牡丹は応為作
美しいです(*^^*)

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