人の為と書いて偽りと読む

人の為と書いて偽りと読むんだねぇ

相田みつを

人の為だというものにかぎって、人の為になっているものはなく、なんて言いえて妙化と思いました。
お役に立ちたくて、その気持ちばかり先行していれば恐らくお役には立てないでしょう。お役に立つために見聞きした情報は断片かもしれないし、自分がお役に立てるであろうと勝手に判断するフィルターにかかった情報にすぎませんから。そしても一つとっても大事なことが。人の為と言っているその深層心理には自分自身の何らかの思いが含まれているということです。

以前に俳優の山本学さんの言葉を紹介したことがありました。「他の俳優の演技が下手に見えるようになったら、自分の演技が下手になっている時だ」といったような言葉です。この言葉に通じるものを今回感じたのですね。

人の為と言っているうちは自分自身をみていません。本当は自分が喜びたいはずなのに、その気持ちを抑えて他者のためという偽善的な言葉に振り回されてしまいます。これが無意識でやっているから恐ろしい。他者を盾にしていると、良くも悪くも自分への意識が薄らぎ、しまいには自分自身が観えなくなってしまいます。そして成果が上がらず、さらに他者の為を無理して行おうとするのですね。それが善意のことであれば、善意の押し付けであり、偽善と呼ばれるてしまうかもしれません。ね。

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