「他力本願」がはたらく -親鸞聖人の言葉より-


他力本願
無明長夜の闇を破し、
衆生の志願を満てたまう


親鸞聖人

一般的に知られている「他力本願」は人の力を当てにしてという意味で使われますが、本来は他力本願は仏教用語なのです。

「他力といふは如来の本願力なり」
親鸞聖人が『教行信証』の中で明示されており、「他力」は如来=阿弥陀如来をさします。
阿弥陀如来は、すべての人の幸せを願っているのですが、不安をいだいた暗い心(無明の闇)では心から幸せを感じたり満足することができません。その無明の闇を破り、人々の本当の願いをかなえることを破闇満願(はあんまんがん)といい、他力本願とは阿弥陀如来の本願力、つまり阿弥陀如来の慈悲のはたらきをいうのだそうです。

この他力本願という言葉はとても深く、私が本当に理解するのはまだ先だと感じてます。
他力(阿弥陀様の本願力)は自力ありきではたらくものではない
こうやって理解しようとしていることは自力ですし、願うことも自力です。
ですが、本来の意味とはたがえてしまうかもしれませんが、自分の本当の願いが気付かないまま与えられても、感謝どころか与えられたことに気付けない。喜びはそのほかの感情を知っているから、より喜べるもの。ですので、自力でとことんやりつくしたとき、他力が働くと思って生きていきたいなと思っています。まぁ、それができるのは結局のところ守られているからなのですよね

阿弥陀如来さまのおおきな愛の中にいることに幸せを感じます

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※誤解を与える内容になっていて、ご指摘いただきましたので、本文を少し変えました。
他力についての説明をいただいたので、そのまま下記に掲載します。
上記の文章の後半は私自身の思いです

仏教はどの宗派も仏になることが目的で、自分のした善によって成仏するというのが自力、阿弥陀仏のお力によって成仏するというのが他力です。
私達の願いは、普通の願いだと煩悩を満たすことになるので、衆生の志願である成仏とは違います。
あれ?私は別に仏になりたい訳じゃないんだけど、、、と思われたかもしれませんが、お釈迦様は人生は苦なり、人生の本質は苦しみであり、具体的に四苦八苦と教えられました。その苦しみから脱する道が成仏です。
仏の教えは仏の説かれた教えであり、仏に成る教えでもあります。