カテゴリー別アーカイブ: 5.人間関係

コミュニケーション

家の近所には子供がたくさんいます。いろんな子たちがいて、その中でも挨拶のしっかりできる3人姉弟の末っ子君がとてもかわいいのです。挨拶ができるのは、親のしつけがとてもいいのでしょう。

末っ子君はまだ3歳になってないぐらい。言葉を話し始めたところで、話せることが楽しいのかいろいろ話してきます。「行ってくる~」とか「ただいま」と挨拶だけでなく、お出かけ時に「今日プール行くの」と満面の笑みで話したり。あの笑顔は天使です。

言葉を覚えたてか会話としてはあまり成立しないのですが、笑顔にこちらも顔がほころびます。もっとその顔を見ていたくて、時間がないのに言葉をかけてしまいます(笑)。コミュニケーションって難しいものじゃなく、笑顔一つで成り立つものなのだと思えてなりません。

末っ子君は、これからいろんなことを経験し、いろんな感情も味わって成長していきます。子供がいないので育てる楽しみも苦しみも想像でしかわかりませんが、この笑顔が失われないよう環境を作っていくのは私たち大人の仕事ですね(^^)

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「間」

日本独特の文化である「間」

昔から芸術・芸能・建築、そして人・時間などありとあらゆるところに『間』の意識を取り入れ培ってきました。もともとは柱と柱の間の一間(182cm)をさす単位のことで、その柱と柱の間である空間や部屋を「間」といいます。家を建てる時に「間取り」を考えるっていいますものね。物と物との空間や隙間も「間」です。そして時間軸でも「間」は存在し、例えば音楽も間でテンポをとったり変調することができます。

この空間と時間の「間」のコラボレーションは、日本人にとってとても大切なものなんですね。

西洋の音楽が音と音をつないだリズムを鑑賞するのに対して、日本の伝統的な能楽などは無音の瞬間を鑑賞するようなものだそうです。なので、日本人は無音の時間も楽しめるのですね。反面、日本で作られた間を楽しむ映画や音楽・アニメなどは海外で上映する際は、こういった理由からできるだけ音がない瞬間を作らないようにするのだそうです。

不安になるのですって

それで気付きました。
海外の文化に触れる機会が増え、日本古来の文化に触れる機会が減るほどに、この「間」が苦手になってくるのかもしれません。

相手に発信したメールの返信がすぐになかったり、会話の最中の間が苦痛になったり、、、

人間関係もまた「間」です。
間は2つが存在し、一体になるための「空間」であり「時間」
これをしっかり感じることで、間が素敵な形に変化できるのではと思うのです

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袖振り合うも多生の縁かな

昨日、十数年ぶりの方が訪ねてきてくれました。
その方とは楽天ブログ(まだ楽天日記と呼んでた頃)で知り合いました。アトリエピジョンの初期のHPを始めるときにもちょっとだけご協力いただいてたんです。でも深いお付き合いはなくて、その後私も楽天ブログを離れ、すっかりご無沙汰となってました。

玄関先に訪れたその方は、第一声「覚えてますか?」
十数年の時が経っているとは思えないぐらいに若々しくってあまり変わってなかったので、すぐにわかりました。縁ってすごいものですね。昨年から、十数年ぶりの人に次々と会う機会があり、何かに引き寄せられているようです。

袖振り合うも多生の縁

何か残している課題があるのか、それとも新たな課題なのか。そんなことを考える今日この頃。新しい縁も実は必然だといわれます。日々考えることがたくさんあって見失っているのかもしれませんよね。しっかり頭と心を使っていこうと思います

ところで、昨日、寒かったですよね?

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人間関係で悩むのは

ギフトのお仕事に携わっていると様々な人間関係のお話を伺うことができます。そしてその大半が、良好と言える人間関係、もしくは昔はよくなかったけど良くなってきたというものです。ギフトをするということは、その行為自体が相手を「みとめて」いなければ出来ないことなので、よい人間関係のお話になるのは必然なのでしょうね

かつてエステティシャンや心理関係の仕事をしていたころは、真逆。些細なことが原因で仲たがいをしてしまったとか、職場の上司との折り合いが合わないだとか、家庭での居場所がないだとか、ママ仲間の付き合いに就かれてしまったとか、親とのけんかが絶えないなどなど、特にエステでは人間関係悩みのデパート?と思うほどに毎日たくさんの悩みというか愚痴を聞いていました。みんなエステに逃げてきているのかなと思ってしまうかもしれませんが、愚痴にしている方たちはみんな向き合ってたんですね。それでもどんどん悪化する人もいる。

みんな真剣になり過ぎて(なったらダメということじゃないんです)、入り込んで小さなほころびを何とか修復しようと必死になる。そうして新たにまた別の小さなほころびが出てきて、なんとか修復しようとする。とんでもなく一生懸命で頑張ってるんですよね。

今だから言えることですが、一生懸命にやってたことは、ほとんど対処療法だったのだと思います。対処療法は処方があっていれば効果は絶大です。ところが、対処療法に頼っていると、本来の自分(の力)を見失ってしまい、何かトラブルが起これば対処療法を探し、それで解決しようとする傾向に陥ります。問題が起こる本質部分からどんどん遠ざかってしまうために、本質部分の改善がされず、問題は常に起こり続けるのです。それどころか、その対処療法も最初は効いても、いつしか効果が薄れてくるといった事態になりかねません

対処療法は薬に似てますね。
風邪を引き総合感冒薬を飲んでいたが効かなかった。あとで、症状に合わせて飲んだほうがダイレクトに効くと知り、その数か月後に引いた風邪は初期の症状が出ていたので初期症状に効くという葛根湯を飲む。おかげで、2日もしたらすっかり治る。そしてまた1年後、同じ初期の症状なので効果のあった葛根湯を飲むが治らず。あげく医者にかかったが2週間も風邪のあらゆる症状を患ってしまいます。
これ実際にあった話で、その後、この方は別の理由から生活習慣を改善しているうちに、そもそもの風邪をひかなくなったそうです。

薬は対処療法なので効果はあるけれど、そもそも風邪をひきやすい生活習慣の乱れは薬では改善できないため、何度も風邪をひき、薬慣れし、、、でどんどん悪化してたのですね。

人間関係も全く同じで、小手先で、こういわれたら〇〇で切り返したらいいといった方法などは一時的な効果しかでません。それは相手を見ていないですからね。

人との関係は「相手をみとめること」に本質があると思います。何でもかんでも「認め」ないといけないのかというとそういうことではなくて、ただ単に受け容れる、あるいは受け留める。嫌なものを無理やり納得するのではなく、あぁ、そういう考え方なんだと観て留めるといった感じです。そして、相手を知り受け留めていくうちに、共感したり共鳴できる部分ができてくると関係性は深まってくるのですね。

素敵な関係性を築いている方のお話を伺うと、みんな相手の苦手なところやちょっと嫌いだなというところを持っていて、笑い飛ばしている人もいれば、「見ないようにしてるの」という人もいて、でもそれ以上に好きなところやいいところたくさん知っているから気にならないと、笑顔で話されます。100%自分の好きなところだらけの人がいたら、逆にひきそうですもんね

ところで、この対処療法の話、いろんなものに共通してて、焦って対処療法をしてしまうと知らないうちにはまってしまって、気づいたときにはもう大変なことになっていることがあります。そういう自分に反省しつつの記事でしたm(__)m

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人が喜びあえる還流 -掃き掃除より(^^)-

毎朝5時半になるとご近所さんが家の周りから始まり隣近所まで掃き掃除をします。また、6時ごろには別のご近所さんが同じように始めます。7時ごろに庭を出ると外はとてもきれいな状態。

有り難いなと思うのと同時に申し訳ないなとも思ったのです。

で、ある時、ご近所さんよりも早く、ゴミ出しついでに外を掃きました。ゴミはなく葉が風で飛ばされている程度です。でもいつも30分ぐらいかけて掃き掃除をされているので念には念を入れます。と言っても、一度掃き始めると2,3軒分と決めててもその先まで気になって掃いてしまってました(^_^)

ところがわずか十数分後にまたご近所さんはいつものように掃き掃除を始めます。その30分後には別のご近所さんが同じように掃き掃除をする。そんなことを何日か続けてみて気づいたんです。あぁ、これは日課だったのだと。

なので、考えを切り替えました。
朝の時間の負担はとても大きくて、私には続きませんでした。感謝しつつ、自分のできることで恩返ししようと。人がそれぞれにできることで助け合えたり喜びあえる。こういう還流が私の目指すところでもあります。いつも周りからたくさんのことを教えていただいているのですよね。ありがたいことです

ところで掃き掃除はよいものです
気持ちも一緒に一新してくれるような気がして、とても心地よいのです。昨日は袋いっぱいの葉っぱを集めご近所さんと井戸端会議をし、また一緒に葉っぱ集めて、気持ちもリフレッシュできました(*^^*)

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反省・感謝・報恩と、、、

お師匠さんから教わったこと
反省・感謝・報恩、平常心と愛の心いつもはあっほーでいざという時は我謳の精神

十数年前に教わった時は卒業できるものだと思ってましたが、今は日々サイクルしてるのだと実感しています。ほんの0.1%でもいいから進化できるようにするため、受けとめる力が必要で、それは向き合うことでしか養えないのでしょう。ふと言葉が下りてきて、思い出しました。教えてくれる人、諫言してくれる人がいることは本当にありがたいことです

219/1000

好きの対象 -LGBTの話題より-

勝間さんの告白が話題になっていて、パートナーとそのことを話していました。
LGBTという概念はずいぶんと浸透されてきたように思っていましたが、実際に説明しようとすると全く説明できません。そして、LGBTではないものをストレートとかノーマルとかと言っていいのか、、、困りました。

私の中ではLGBT自体が、何それ?といった感じで、区別がないのですね。もちろん倫理観などもあるのでしょうが、愛する対象の「性」がマイノリティだからと、どこか排他的になるのは悲しくなってしまうのです。男性しか恋愛の対象にならない男性から話を聞いたことがあります。その排他的な周りの態度は彼の本来の明るさを奪うに十分すぎるほどの酷さで、それは人としてあるべき姿ではないだろうと思ったほどです。

本当はLGBTとかマイノリティとかあまり分けた言い方が好きじゃなくて書きたくないところなのですが、言葉が見つからなくて…

でも考えてみれば、私も性に関しては排他的でなくとも、その他のマイノリティに対して、何らかの排他的な気持ちは持っているような気がするのですよね。これは一般的でないからとか、これはこうあるべきだといった概念です。そして勝間さんのお話がきっかけで思ったのは、排他的になる一番の要素は、そのものを知らないからじゃないかと思ったのです。

例えば性に関しては、イメージ的に気持ち悪いとかといった言葉を聞くのですが、そのイメージのせいで、知ろうとする以前に相手に異質なものフィルターをかけてしまってみてしまうのです。

自分がマイノリティの立場にあるものだったらと考えてみたら、もっと知ってほしいと思うのは当然でしょうし、理解されなくとも、せめて排他的にはなってほしくないと思うのではないでしょうか。

勝間さんの勇気に拍手と、考えるきっかけをくださったことに感謝です

LGBTについて、わかりやすい説明を書かれているサイトがありました
「LGBT」の反義語は「異性愛者」ではありません
LGBTと性的少数者の違い、日本人の誤解とは?

216/1000

【5月31日まで】効果的なギフト:ビジネスギフトをご検討中の方へ

アトリエピジョンでご依頼いただくビジネスギフトの中で、一番多いお悩みは「間違いがないか」ということです。大切な取引だから、間違いがあっては元も子もありません。ですので、間違いがないようにマナーに沿い、無難なギフトを選んでしまいがち。それはギフトに長年携わっている私もいまだに思うことで、毎回贈るたびにうんうん考えています。

マナーは大切で、マナーに沿ってギフトをすることはとても素晴らしいことです。
しかし、せっかく贈ったのに相手も自分も忘れている(形あるものでさえ、誰からもらったかわからない)、ただの通例になって何の感動もない。

こんな経験はないでしょうか。これは私たちが頻繁に耳にしてきたことで、私たちにできることはないかとビジネスギフトを手掛けた17年前より、取り組んできました。効果的なギフトを贈ることで、先様にも贈り主も喜んでもらえ、ビジネスチャンスをつかむことも可能でしょう。

先日、ご依頼者からちょっとした知り合い程度だった方に新社長就任のお祝いを贈ったら感動され、それまで顔を合わせる程度だったのに、ギフトを贈りあう仲になり1年後にはお互いの会社間で新規プロジェクト取引の話になったとご報告をいただきました。

『後から本人に聞いた話ですが、彼曰く、何が嬉しかったと言えば
・私がその作品をチョイスした事(強面顔に似合わない)
・彫刻メッセージ入りの1点ものの作品自体が素晴らしい。
・そして何よりも作品チョイスから、私と作家がメール等のやりとりで自分の為に貴重な
時間を割いてくれた事。私の思いと作家の思いが作品に宿っている事だと。』
と、喜びの声をお聞かせくださいました

この方が贈ったギフトは特別なものではありません
ただ、一般的なギフトより、少し手間も日にちもかかってしまうというだけです。

でも忙しい社長がその貴重な時間をつかって相手に喜んでもらうメッセージを考えてオーダーをする。これが一番うれしいことではないでしょうか

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もしこんなギフトにご興味があるようでしたら、ぜひ今回のキャンペーンでご検討ください
キャンペーンはこちらから 5月31日まで

終了次第、こちらのキャンペーンは閉じます

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これはアトリエピジョンでのお客様のお話ですが、お花や食品なども贈り方で全然変わってくると思います。食事やパーティーの場を企画してサプライズしたり、そこまで大々的でなくともメッセージを手書きされるだけでも喜ばれ度はずいぶんと上がると思います。

ぜひ素敵な贈り方をしてよい関係をさらに良い関係へとなりますようお祈りしています

210/1000

異性への誕生日プレゼント

ご依頼者からの質問より
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知り合いへの誕生日プレゼントを贈りたいが、相手は既婚女性
こういう時のプレゼントはどうしたものか

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ずいぶんと前にご依頼あった同様の事例をお話ししました。
相手の女性はハートが好きだったので、ハートを入れるのはまずいかとのことでした。なぜまずいのかがわからずお話を伺っていると、チーム内でパートナーを組んでいる女性でがんばっているのでメッセージを入れて贈ることを考えていたのですが、恋人でもなく、相手には彼氏もいるので変な誤解を招きはしないかということでした。
他に好きそうなモチーフはないかと伺うと、とにかくハートが好きなんだとか。
それほどまでに好きなら、メッセージを誤解を招かないものにすれば、彼氏さんも誤解する可能性は低いと思います。メッセージカードにでも「これからも仕事の良きパートナーとして、よろしくね。〇〇さんの好きなハートを入れてみたんだ」などと入れてみてはとお勧めしました。でも彼氏のことはわからないので断言はできませんよね。ということで、当初はグラスの予定が仕事場で使うアイテムに変更し、それにハートを入れることにしたのです。

また別の方の事例では、この方も既婚女性に贈るものでした。贈物の目的はお礼。
ご予算も少しあるし、今後のことも考えて、女性だけでなくその女性のご主人とも合わせてペアのネーム入りグラスを贈ることになりました。グラスにはメッセージは入れず、メッセージカードに日頃のお礼をしたためてました。
御主人やご家族の方にも贈るというのは退職御祝でもよくお勧めしているパターンで、自分の大切な人のことも一緒に見てくれていると感動も大きいようなんですね。

相手が異性である場合、気を遣うことも多いと思います。それだけに、ここでの心配りがより喜ばれる結果になることもあるので、じっくり考えたいところですね

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内なる邪は排除するのでなくて、、、

いつも本当にありがたいなぁと思うこと
毎日ギフトのことが主となっていて、ギフトというのは、思いやりであったり心配りであったり、ほわぁっと心が温かくなるシーンばかりなのですね。なので、仕事に熱中している時はその先に笑顔が見れるので、長時間彫り続けていても、見積もりに時間がかかっても、その時は忘れてしまうことが多いのです。

でも、少しニュースに目をやれば、なんだか世知辛さが目に付くわけです。
小さなことではないかもしれないけれど、どうして重箱の隅をつつくような批判が多いのでしょうか。どんな人も正と邪は併せ持っていて、自分の中にある正も邪もちゃんと認めて生きていくしかないのです。正だけということはありえなくて、邪があることで大切なことを見極めていくこともできるはず。

誰しも邪心は芽生えるし、そんなつもりはなくてもほんの少し軌道を間違えたことで邪に向かってしまうこともある。どんなに排他的になっても、邪は消えるものではないのです。悪を許すということではありません。それがあるということを受け留めて、内なる邪をいかに防ぐか、また防ぐための仕組みを作っていく必要があるのだと思います。

そして、それは自分一人では難しいこともあります。人の支えは、邪の部分を徹底的に排除するために必要ではなく、また傷をなめあうのでもなく、先にも書いたように邪があることを受け留めること、仕組みを作ることのために必要とされるのではないでしょうか。自分の中に悪があるって、みとめたくないですもんね。だからこそ、がんばっていい人を演じちゃったりするのじゃないかな。

みんな同じなんだから、支えあえるといいなって、心から思います

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