カテゴリー別アーカイブ: 5.人間関係

何気ない会話で知ること

夏のような暑さもどこへやら、一気に気温が下がって秋らしい風が吹いています。風が柔らかで心地よいですね(^^)こんなお天気がずっと続けばと、ついつい思ってしまいます。

近所のおじさんが、秋らしい差し入れをくださいました(*^^*)
やきいもです♪

「今年は手入れさぼってたから、大きくならんかったわー」と。

毎年、この時期になると、自分で育てたサツマイモを石焼きして持ってきてくれます。今年のできはどうかなぁといいながらいただけるのは、なんと平和で心地よいのだろう。

私もごくごくたまに自宅の庭で育てた野菜などで何かを調理しておすそわけします。昨日はぷりぷりに育ったシソの実の佃煮でした。普段は、減塩食のところ、おすそ分けは通常通りの塩分量。でも出来上がったのは妙にしょっぱく感じるものでした。おじさんに「お醤油入れ過ぎたかも」と伝えたら、今日は「全然からくなかったよ」との返答。

ホントに何気ない会話です。
この会話で、おじさんの味の好みを知ることができるし、気に入ってくれたのかどうか声のトーンで分かります。ちょっとした会話がありがたいことだと、大切にお話しするようにしています


この写真は、以前差し入れしてもらったときのものです

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曼殊沙華の葉と花はすれ違い

優しい秋空と豊かな大地の恵みをうけ
輝く君を想う

そして僕は冬の空の元、
冬の陽から君を輝かす恵みを受け取ろう

冬空の元にいるあなたは、きっとたくましい
姿は見れなくとも、私らしく輝いていよう

そしてあなたへ繋いでいく


ずっと以前、Facebookでつづっていた詩と写真です。
曼殊沙華の葉を見たことありますか?目にはされていても気づいていないだけという方がほとんどだと思います。それは、花が咲くときには葉はなく、葉がある時には花は咲かず茎までもありません。花の役目が終わると茎まで黄変し、深緑のつやつやの葉が根元から出てきます。そして冬の間しっかりとその役目を果たし、春4月には、その葉も黄変して花茎が芽を出す準備を始めるのです。

花と葉はいつもすれ違い
それでもお互いにそれぞれの役割を果たし、命をつないでいくのです

すごい生き様ですよね

見事な花ばかりに目が行きがちだけれども、その華やかな姿を作るための立役者に深く大きな愛情を感じずにはいられないのです。こんな人間関係ありますよね。華やかな舞台裏で支えるマネージャーやプロデューサーさんたち。そして、親。無償の愛でささえてくれてるのですよね

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大きなギフト

保険関連のお仕事をしている知人がいます。彼女はいつでもどんな時でもちゃんとお化粧をし、身なりを整えます。当たり前でしょうという方も多いと思いますが、そんな彼女は相手に対して同様のことを求めません。きっちりしているのに、どんな状態でも受け入れてくれて押し付けがないから楽なのです。だから、多くの人から好かれ、信頼されています。

ある人が彼女に、そんなプライベートでカジュアルな時でもきっちりしてるんだねというと、周りの人に心地よくいてもらいたいからと笑顔で返していました。

彼女の存在自体が、大きなギフトだと思います。

また別の日に彼女のエピソードを聞きました。仕事のできる人で約束事もきっちりしているし、求めた以上のことを返します。でもある時、大変なミスをしてしまいました。人間ですからね

そのミスに対して即座に対処し謝るのは、仕事人として必須です。もちろん、それも行ったうえで、彼女はすぐにもう一つ上の対処を始めたのです。グループリーダーである彼女は自分のミスをグループ内で発表し、ミスの経緯をみんなで話し合い、今後このようなミスがない方法をみんなで考えるというものです。ミスを恥と考えて隠してしまい大きな問題になってしまったという話はよくあることです。でもだからといって、なかなか自分のミスを公表し晒された中で考えるのはなかなかに勇気のいることでしょう。

こういうリーダーのいる職場は、人間関係もよくって強いです(^^)

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コミュニケーション

家の近所には子供がたくさんいます。いろんな子たちがいて、その中でも挨拶のしっかりできる3人姉弟の末っ子君がとてもかわいいのです。挨拶ができるのは、親のしつけがとてもいいのでしょう。

末っ子君はまだ3歳になってないぐらい。言葉を話し始めたところで、話せることが楽しいのかいろいろ話してきます。「行ってくる~」とか「ただいま」と挨拶だけでなく、お出かけ時に「今日プール行くの」と満面の笑みで話したり。あの笑顔は天使です。

言葉を覚えたてか会話としてはあまり成立しないのですが、笑顔にこちらも顔がほころびます。もっとその顔を見ていたくて、時間がないのに言葉をかけてしまいます(笑)。コミュニケーションって難しいものじゃなく、笑顔一つで成り立つものなのだと思えてなりません。

末っ子君は、これからいろんなことを経験し、いろんな感情も味わって成長していきます。子供がいないので育てる楽しみも苦しみも想像でしかわかりませんが、この笑顔が失われないよう環境を作っていくのは私たち大人の仕事ですね(^^)

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「間」

日本独特の文化である「間」

昔から芸術・芸能・建築、そして人・時間などありとあらゆるところに『間』の意識を取り入れ培ってきました。もともとは柱と柱の間の一間(182cm)をさす単位のことで、その柱と柱の間である空間や部屋を「間」といいます。家を建てる時に「間取り」を考えるっていいますものね。物と物との空間や隙間も「間」です。そして時間軸でも「間」は存在し、例えば音楽も間でテンポをとったり変調することができます。

この空間と時間の「間」のコラボレーションは、日本人にとってとても大切なものなんですね。

西洋の音楽が音と音をつないだリズムを鑑賞するのに対して、日本の伝統的な能楽などは無音の瞬間を鑑賞するようなものだそうです。なので、日本人は無音の時間も楽しめるのですね。反面、日本で作られた間を楽しむ映画や音楽・アニメなどは海外で上映する際は、こういった理由からできるだけ音がない瞬間を作らないようにするのだそうです。

不安になるのですって

それで気付きました。
海外の文化に触れる機会が増え、日本古来の文化に触れる機会が減るほどに、この「間」が苦手になってくるのかもしれません。

相手に発信したメールの返信がすぐになかったり、会話の最中の間が苦痛になったり、、、

人間関係もまた「間」です。
間は2つが存在し、一体になるための「空間」であり「時間」
これをしっかり感じることで、間が素敵な形に変化できるのではと思うのです

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袖振り合うも多生の縁かな

昨日、十数年ぶりの方が訪ねてきてくれました。
その方とは楽天ブログ(まだ楽天日記と呼んでた頃)で知り合いました。アトリエピジョンの初期のHPを始めるときにもちょっとだけご協力いただいてたんです。でも深いお付き合いはなくて、その後私も楽天ブログを離れ、すっかりご無沙汰となってました。

玄関先に訪れたその方は、第一声「覚えてますか?」
十数年の時が経っているとは思えないぐらいに若々しくってあまり変わってなかったので、すぐにわかりました。縁ってすごいものですね。昨年から、十数年ぶりの人に次々と会う機会があり、何かに引き寄せられているようです。

袖振り合うも多生の縁

何か残している課題があるのか、それとも新たな課題なのか。そんなことを考える今日この頃。新しい縁も実は必然だといわれます。日々考えることがたくさんあって見失っているのかもしれませんよね。しっかり頭と心を使っていこうと思います

ところで、昨日、寒かったですよね?

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人間関係で悩むのは

ギフトのお仕事に携わっていると様々な人間関係のお話を伺うことができます。そしてその大半が、良好と言える人間関係、もしくは昔はよくなかったけど良くなってきたというものです。ギフトをするということは、その行為自体が相手を「みとめて」いなければ出来ないことなので、よい人間関係のお話になるのは必然なのでしょうね

かつてエステティシャンや心理関係の仕事をしていたころは、真逆。些細なことが原因で仲たがいをしてしまったとか、職場の上司との折り合いが合わないだとか、家庭での居場所がないだとか、ママ仲間の付き合いに就かれてしまったとか、親とのけんかが絶えないなどなど、特にエステでは人間関係悩みのデパート?と思うほどに毎日たくさんの悩みというか愚痴を聞いていました。みんなエステに逃げてきているのかなと思ってしまうかもしれませんが、愚痴にしている方たちはみんな向き合ってたんですね。それでもどんどん悪化する人もいる。

みんな真剣になり過ぎて(なったらダメということじゃないんです)、入り込んで小さなほころびを何とか修復しようと必死になる。そうして新たにまた別の小さなほころびが出てきて、なんとか修復しようとする。とんでもなく一生懸命で頑張ってるんですよね。

今だから言えることですが、一生懸命にやってたことは、ほとんど対処療法だったのだと思います。対処療法は処方があっていれば効果は絶大です。ところが、対処療法に頼っていると、本来の自分(の力)を見失ってしまい、何かトラブルが起これば対処療法を探し、それで解決しようとする傾向に陥ります。問題が起こる本質部分からどんどん遠ざかってしまうために、本質部分の改善がされず、問題は常に起こり続けるのです。それどころか、その対処療法も最初は効いても、いつしか効果が薄れてくるといった事態になりかねません

対処療法は薬に似てますね。
風邪を引き総合感冒薬を飲んでいたが効かなかった。あとで、症状に合わせて飲んだほうがダイレクトに効くと知り、その数か月後に引いた風邪は初期の症状が出ていたので初期症状に効くという葛根湯を飲む。おかげで、2日もしたらすっかり治る。そしてまた1年後、同じ初期の症状なので効果のあった葛根湯を飲むが治らず。あげく医者にかかったが2週間も風邪のあらゆる症状を患ってしまいます。
これ実際にあった話で、その後、この方は別の理由から生活習慣を改善しているうちに、そもそもの風邪をひかなくなったそうです。

薬は対処療法なので効果はあるけれど、そもそも風邪をひきやすい生活習慣の乱れは薬では改善できないため、何度も風邪をひき、薬慣れし、、、でどんどん悪化してたのですね。

人間関係も全く同じで、小手先で、こういわれたら〇〇で切り返したらいいといった方法などは一時的な効果しかでません。それは相手を見ていないですからね。

人との関係は「相手をみとめること」に本質があると思います。何でもかんでも「認め」ないといけないのかというとそういうことではなくて、ただ単に受け容れる、あるいは受け留める。嫌なものを無理やり納得するのではなく、あぁ、そういう考え方なんだと観て留めるといった感じです。そして、相手を知り受け留めていくうちに、共感したり共鳴できる部分ができてくると関係性は深まってくるのですね。

素敵な関係性を築いている方のお話を伺うと、みんな相手の苦手なところやちょっと嫌いだなというところを持っていて、笑い飛ばしている人もいれば、「見ないようにしてるの」という人もいて、でもそれ以上に好きなところやいいところたくさん知っているから気にならないと、笑顔で話されます。100%自分の好きなところだらけの人がいたら、逆にひきそうですもんね

ところで、この対処療法の話、いろんなものに共通してて、焦って対処療法をしてしまうと知らないうちにはまってしまって、気づいたときにはもう大変なことになっていることがあります。そういう自分に反省しつつの記事でしたm(__)m

233/1000

人が喜びあえる還流 -掃き掃除より(^^)-

毎朝5時半になるとご近所さんが家の周りから始まり隣近所まで掃き掃除をします。また、6時ごろには別のご近所さんが同じように始めます。7時ごろに庭を出ると外はとてもきれいな状態。

有り難いなと思うのと同時に申し訳ないなとも思ったのです。

で、ある時、ご近所さんよりも早く、ゴミ出しついでに外を掃きました。ゴミはなく葉が風で飛ばされている程度です。でもいつも30分ぐらいかけて掃き掃除をされているので念には念を入れます。と言っても、一度掃き始めると2,3軒分と決めててもその先まで気になって掃いてしまってました(^_^)

ところがわずか十数分後にまたご近所さんはいつものように掃き掃除を始めます。その30分後には別のご近所さんが同じように掃き掃除をする。そんなことを何日か続けてみて気づいたんです。あぁ、これは日課だったのだと。

なので、考えを切り替えました。
朝の時間の負担はとても大きくて、私には続きませんでした。感謝しつつ、自分のできることで恩返ししようと。人がそれぞれにできることで助け合えたり喜びあえる。こういう還流が私の目指すところでもあります。いつも周りからたくさんのことを教えていただいているのですよね。ありがたいことです

ところで掃き掃除はよいものです
気持ちも一緒に一新してくれるような気がして、とても心地よいのです。昨日は袋いっぱいの葉っぱを集めご近所さんと井戸端会議をし、また一緒に葉っぱ集めて、気持ちもリフレッシュできました(*^^*)

221/1000

反省・感謝・報恩と、、、

お師匠さんから教わったこと
反省・感謝・報恩、平常心と愛の心いつもはあっほーでいざという時は我謳の精神

十数年前に教わった時は卒業できるものだと思ってましたが、今は日々サイクルしてるのだと実感しています。ほんの0.1%でもいいから進化できるようにするため、受けとめる力が必要で、それは向き合うことでしか養えないのでしょう。ふと言葉が下りてきて、思い出しました。教えてくれる人、諫言してくれる人がいることは本当にありがたいことです

219/1000

好きの対象 -LGBTの話題より-

勝間さんの告白が話題になっていて、パートナーとそのことを話していました。
LGBTという概念はずいぶんと浸透されてきたように思っていましたが、実際に説明しようとすると全く説明できません。そして、LGBTではないものをストレートとかノーマルとかと言っていいのか、、、困りました。

私の中ではLGBT自体が、何それ?といった感じで、区別がないのですね。もちろん倫理観などもあるのでしょうが、愛する対象の「性」がマイノリティだからと、どこか排他的になるのは悲しくなってしまうのです。男性しか恋愛の対象にならない男性から話を聞いたことがあります。その排他的な周りの態度は彼の本来の明るさを奪うに十分すぎるほどの酷さで、それは人としてあるべき姿ではないだろうと思ったほどです。

本当はLGBTとかマイノリティとかあまり分けた言い方が好きじゃなくて書きたくないところなのですが、言葉が見つからなくて…

でも考えてみれば、私も性に関しては排他的でなくとも、その他のマイノリティに対して、何らかの排他的な気持ちは持っているような気がするのですよね。これは一般的でないからとか、これはこうあるべきだといった概念です。そして勝間さんのお話がきっかけで思ったのは、排他的になる一番の要素は、そのものを知らないからじゃないかと思ったのです。

例えば性に関しては、イメージ的に気持ち悪いとかといった言葉を聞くのですが、そのイメージのせいで、知ろうとする以前に相手に異質なものフィルターをかけてしまってみてしまうのです。

自分がマイノリティの立場にあるものだったらと考えてみたら、もっと知ってほしいと思うのは当然でしょうし、理解されなくとも、せめて排他的にはなってほしくないと思うのではないでしょうか。

勝間さんの勇気に拍手と、考えるきっかけをくださったことに感謝です

LGBTについて、わかりやすい説明を書かれているサイトがありました
「LGBT」の反義語は「異性愛者」ではありません
LGBTと性的少数者の違い、日本人の誤解とは?

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