月別アーカイブ: 2018年11月

成熟した途端、腐敗が

As long as you’re green you’re growing,
as soon as you’re ripe you start to rot.

未熟でいるうちは成長できる。成熟した途端、腐敗が始まる
by カーネルサンダース

僅か10歳から働き始め失敗だらけの波乱に満ちた人生で、還暦を超え65歳で世界的な企業となったKFCを立ち上げたカーネルサンダース。通称ケンタッキーおじさん。どんなに苦しくても「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」の信念をもち続けていたそうです。

大恐慌によるガソリンスタンドの閉鎖、火事によるサンダース・カフェの消失などで大きな負債を抱えたとき、すでに御年65。再建をはかりますが、その頃にできたフライドチキンのレシピを販売するFC契約を思付きます。そして、65歳の年齢ながら1件1件回るのです。その数なんと1009。10分の1の100回でも断られたら心が折れそうなものを1000回以上です

情熱がすごいですよね。冒頭の言葉通り、生涯を通して成長し続けたのだと思います

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役職名につける「様」はあり?

呼び捨てにしているような感じがして役職名だけではもの足らずつい「〇〇社長様」と言ってしまいそうになる言葉。けれど、役職名には「様」をつけません。役職名が敬称なので「様」をつけると二重敬称になってしまうからです。ちなみに役職名だけの場合は、様(殿)をつけます

そもそも「様」は、方向を示す「さ」とそれにつける接語の「ま」の合わさった言葉で、人や神仏など人に類するものにつけます。神様・仏様がそうですよね。会社でも〇〇株式会社様といった使い方をされます(宛名や文書では〇〇株式会社御中が一般的)

様をつけたい場合は、
「〇〇部長様」ではなく、「部長の〇〇様」
送り状などの宛名は、
「営業本部長
〇〇 〇〇 様」などのように表記します。

と、ここまでは一般的なマナーなのですが、昨今では「〇〇社長様」などわりと使われているようです。マナーは時代とともに少しづつ変わってます。とはいえ昔ながらのマナーを大切にされている方にとって、受け入れがたいのも事実。せっかくの敬称も先様に受け入れられなければ台無しですから、相手に合わせることも大切でしょう

関連記事 「殿」と「様」 どちらが正しい?

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初心忘るべからず -世阿弥の言う初心とは-

世阿弥は、私にとって遠く及ばなさすぎるでも大きな指針です。
生まれながらに才能を持ち合わせていたであろう世阿弥は、その際に溺れることなく、本質を追求していきました。それでみいだしたまことの花は、見失いがちなことを教えてくれてます。

では初心とは何でしょうか。一般的にはじめたころの「志」として言われることが多いですよね。世阿弥の言う初心とは、ちょっと複雑で、これはまことの花とも連動するように思います。

しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし
(『 花鏡 』-奥の段-)

この頃の花こそ初心と申す頃なるを、極めたるやうに主の思ひて はや申楽にそばみたる輪説をし 至りたる風体をする事 あさましき事なり。たとひ 人も褒め 名人などに勝つとも これは一旦めづらしき花なりと思ひ悟りて いよいよ物まねをも直にし定め 名を得たらん人に事を細かに問ひて、稽古をいや増しにすべし。
(『 風姿花伝 』-年来稽古条々-)

はじめたころの未熟さやみっともないさまに悔しい思いなど感じたと思います。その時こそ初心であり、花はこの時より培われたものが実り咲いたものであるので、決して初心を忘れることなかれということなのですね。そしてその初心は環境や年代が変わったときそれぞれにあるもの、例え老後だとしてもその時々の初心を忘れず道をすすむのだということです。一生続く道、いつも基本が大切なのですね

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江戸時代のリサイクル -ギフトの使いまわし、金継ぎ-

江戸時代のリサイクルがすごかったという話が出て、とにかく下肥と呼ばれる排せつ物のリサイクルが一番盛り上がってました(^0^)いきなりなお話でごめんなさい。元エステティシャンということもありお通じのお話は日常的でしたし、今は健康に直結することから大病を患った家族のこともあり、全然違和感を感じないんです。

汚くて捨てるものにも、その価値を見出しリサイクルするなんてホントすごいですよね。エネルギーに変えたり、肥料にしたり、そのおかげで町はきれいだったといいます。当時の日本に訪れた人たちは江戸の町のきれいさに驚いたようです。そのころ、日本と同じように道端で排泄していたパリでは歩けば踏むという悲惨さ。でもそれがあって、香水やより踏む部分の少ないヒールなど素晴らしいアイテムが生まれたのですよね。

文化はこうやって発展。時代をその時々の生活からみてみると、いろいろと発見があって楽しいです。

さて、江戸のリサイクルでは、家具・道具・衣服・紙屑に至るまで徹底的にリサイクルされ、不用品などもラッピングをして贈答品にしたりと、とにかく無駄がなかったんですね。ものあまりの現代で、お歳暮などを使いまわしているのとあまり変わりがないかもしれません。贈ったほうとしては嬉しくない現実ですが、無駄に箪笥の肥やしになるよりよいのかな・・・

リサイクル文化から芸術も生まれます。
陶磁器類を使っていると欠けたり割れたりは避けられません。現代ではちょっとかけたらすぐに捨ててしまうものですが、江戸時代は溶いた白玉粉などを接着剤にしてくっつけて焼き上げ再生していました。簡単な処理です。高級な陶器は漆を使って接着します。これが金継ぎです。新たな命を吹き込まれた再生アートは、永く親しまれ、現代でも大切にされているのです

ガラスもペレットにしてリサイクルされたり、ステンド技法で新たな命を吹き込んだ利があります。アトリエピジョンでは、サンドブラストでできること、ガラス片の端を処理して箸置きやミニトレイなどをつくってます(^^)
↓↓ こんな感じ

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ピエタに見る愛のカタチ

多くの芸術家が作品に用いたピエタ。特にミケランジェロの作品が有名で教科書でも掲載されているので誰しもが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか

ピエタ(Pietà)はイタリア語で哀れみや慈悲を意味する言葉で、十字架から降ろされたイエス・キリストの遺骸を抱いて、わが子の死を嘆き悲しむ聖母マリアの姿をモチーフにした彫刻や絵画などをいいます。(参考Wiki)

このピエタという言葉の語源はラテン語の敬虔を意味するピエタス(pietas)にあり、敬虔とは特に神仏などに深く敬いつつしむさまのこと。とすれば、わが子の死としてより神の子キリストへの畏敬の念を表したものと考えるものなのでしょうか。もしくはどちらも・・・

私自身はキリスト教徒でもなく子供もおりません。ですので、このことについて言及するなとお叱りうけそうですが、このお姿こそ生あるものの全てに共通する愛のように感じてます。つい先日、バッファローがライオンの餌食になりかけたところ仲間が見つけライオンを追い払う動画を見ました。次々と仲間たちが寄ってくるのですが、時すでに遅しで餌食になりかけたバッファローは命を落としてしまいました。それを嘆き悲しんでいるかのようなバッファローの姿を見て、思い出したのです。

ピエトロ大聖堂のものは、聖母マリアのお顔が慈愛に満ちた表情がなんとも美しいもの。やはり深い愛を感じずにはいられません。それにしてもミケランジェロってすごいなー


サン・ピエトロ大聖堂のピエタ(ミケランジェロ)

ミケランジェロが手掛けたピエタは4つ
でもピエトロ大聖堂のピエタ以外は未完成なのだそうです。
4つも手掛けてたの、初めて知りました(@@)

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スカラベの縁起

年末に向けていろいろと処分を進めていると、小さな石膏で作られたスカラベが出てきました。スカラベってご存知でしょうか


写真で見ると大きいですがチャーム用の小さなものです

いわゆるフンコロガシのことなのですが(^_^)、これがとっても縁起がいいのです。古代エジプトでは再生や復活の象徴として印章や装飾品になどのモチーフに使われています。正式学名はスカラベ・サクレ(仏語で「聖なる虫」の意味)といい、スカラベの習性と太陽が回転する様子が似ていることから繁栄の象徴である太陽神ケプリの化身としてあがめられてきました。このスカラベは

フンコロガシは糞を転がす際、昼は太陽、夜は天の川の光を利用することで方向を間違わないで進むそうです。何ともロマンある聖なる虫さんですですね~


太陽が沈んだり昇ったり動いているように・・・見えますね


↑ この写真のような太陽神ケプリがフンコロガシの頭をもつ様が1つのモチーフになっているデザインパターンも多い


ロックグラス底に彫られたスカラベ。グラス底の形状がちょうど太陽のように見えます♪


ガラス彫刻作家:西田雅之作

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白紙説 -性悪説?性善説-

世の中にはいろいろな理論があって、どれもこれも理路整然とあるものですから、つい納得してしまいます。そんな私は、友人から「性善説と性悪説、どっち派?」と聞かれ、即座に性善説派と答えた覚えがあります。

とはいえ、性悪説もなるほどなと思うところが多く、はっきりこっちだと言い切れるものではないのです。さらにです、白紙説もあると知り、私の頭はさらに複雑化してしまってます。もともと感覚的に生きているので、理論を並べ立てるのは苦手(^_^;)

少し整理をしたくて書いてみることにしました。

性善説
儒家の孟子が説いた、人は先天的に道徳的で善であるというもの。人は善であっても賢にあらず、弱く悪に流されてしまいやすいもの。なので修業は必要で、修行や育成により開花させることができればで立派な人間になれる。

性悪説
同じく儒家の荀子が説いた、人は生まれたときは善でも悪でもなく、後天的に経験したことや環境などによって悪にも善にもなるというもの。修行することで善になるというのは性善説と同じ

性悪の「悪」はいろいろなとらえ方をされて、“ 人は本来は悪であり、修行によって善人になれる“ というのと、“ 人は本来悪であるから、人を見たら疑ってかかるべき“ というのがあるようです

白紙説
ジョンロックが説いたもので、人は生まれたときは白紙(タブラ・ラーサ、羅:tabula rasa)として生得観念(innate ideas)を有していない。観念の起原はあくまでも経験であり、我々の側にあるのはせいぜいそれらを認識し、加工する能力だけである。(wikiより)。
白紙の心に、積み重ねた経験により心が出来上がるというもの。善だの悪だのと言っているのは経験に基づく感覚(ジョンロックをはじめとする感覚論より)

性悪説と白紙説は、先天的なものではどちらも善悪の区別はなく後天的にというところで似てますね。性悪説の「悪」を善の反対と思ってしまうと、別物になってしまいますね。

どれも至極納得してしまう私はなんなのでしょうか(滝汗)
経験や環境によって形成されたり、白紙論のように後天的に観た感覚にすぎないというのは、すごく同感します。

ただ、人は生まれながらにもった愛があるように私は思ってます。前世だとか全く見えないのですが、なんとなく感覚で未経験のことにまで反応してしまうものがあり、それが生まれ持った愛なのかなと思うのです。情というか愛、親子愛や同士愛、郷土愛、ペットや植物、モノなども含めてです。もしそうであるとしたら、せっかく生まれ持ったものなのに、自分の弱さやつまらないことで失われたり、悪の道に引っ張られたりは、寂しいことです。ですので、善悪というほどではないのですが、私の考えは性善説に近いかなぁと

ま、とらえ方はいろいろあれど
人が修行して善行を行うのは全部共通してますから、日々精進します

 

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感謝の心は・・・ -キケロの言葉より-

Gratitude is not only the greatest of virtues,
but the parent of all others

感謝の心は最大の美徳のみならず、すべての美徳の起源である
Marcus Tullius Cicero(ローマの政治家・哲学者)

順風満帆な政治家人生も最後は裏切りによって自決したキケロ。推していたポンペイウスとカエサルの対立でポンペイウスが破れ政界を引退せざるを得なくなった。そののちカエサルとの関係は修復したもののカエサルがブルータスによって暗殺されるとカエサルの部将アントニウスはキケロがかかわったのではないかと疑う。アントニウスとの対立により、最後はとらえられてしまう。その指揮官はかつて自分が弁護によって助けたはずのもの。キケロは潔く自決。

その生きざまと残された言葉は広く語り継がれています。しかしながら、Where there’s life, there’s hope(生あるところに、希望もある)という言葉を残したにもかかわらず、自決せざるをえなかったのはなんとも壮絶な人生です。

嫉妬と裏切りは悲劇です

Maccari-Cicero

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